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僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。
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ビワイチへの挑戦

2年ぶりの書き込みです。
休眠したままそのまま放置しようかと思ったのですが、また、少し自転車に乗り始めるようになったので、書くことにしました。

というのも、何年も前から思ってたビワイチ(琵琶湖一周)に年甲斐もなく、チャレンジする気になったからです。

決行日は、5月3日としました。

実をいうと、ビワイチは遥か数十年前、若かりし頃に走ったことがあります。その後も京都鯖街道経由の一泊での一周、それから琵琶湖大橋経由のショートカットでの一周、計3回走ったことになります。いずれも二十代の体力有り余った頃の出来事で、それを還暦も近くなった歳でまたやりたくなってきた訳です。

春になり、毎週末のトレーニング走行と、毎日のビル14階までの昇降運動、ぐらいしか準備はしていないので、若干の不安はあります。家人は、1泊してゆっくり回れば、というのですが、いい歳をして、1日で回ってこそ意味がある、との拘りを持っており、この歳になっても、目標を達成後の快感を求めて走る、あくまで自己満足です。

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あと5日、刻一刻と迫っています。
天気は大丈夫なようですが、足が動かなくなってリタイア、という不安がよぎります。念のため、輪行袋は持参しますが、そんな事態になれば輪行する気力も失せ、自転車をデポして、出発点に戻ることでしょう。
青春(書くのも恥ずかしい古臭い言葉)の思い出の総決算として、なんとか成功させたいです。

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大阪城の遺構を歩く(2)

(前回の続き)

大阪城の空堀跡に沿って東西に伸びている「からほり商店街」を東に向かって歩きます。

「からほり商店街」は空堀そのもののルートよりは、少し北側を通っているものと思われます。
というのは、空堀商店街の北側も南側も坂道になっていて、堀の底というよりも、尾根道を通っているような地形になっているからです。

もっとも、この坂道というのは、大阪城を作るときに、瓦を焼くのに使われた大量の土を掘削した跡がこの辺りにあったとも言われており、人工的な地形も交じっているからさらに複雑です。

しばらく進むと、下り坂の傾斜があり、北側に小さなグラウンドのある公園、清水谷公園に出ます。この公園の北側に数メートルの石垣のような段差があります。
この段差にある石垣は、そのまま空堀のあと、という訳ではないと思いますが、真田丸のすぐ横に位置し、戦略上、重要な位置にあり、冬の陣で勇猛果敢な戦いぶりを示した木村重成が守った場所と言われています。

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この道は真田丸の跡と言われている真田山の丘と清水谷公園のある丘の間を通っている窪地になっていて、これが空堀の跡というのが自然な考え方ではないかと思います。

空堀のあとと思われる道を道なりに進んでいくと、下り坂になり少し大きな通りに出ます。長堀通りです。
通りの北側には、おそろしく急な上り坂、そのまま、大阪城の外堀に至る台地に続く段差になっています。

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後で調べてみると、この長堀通りは、長堀川という運河の跡にあたるそうで、有名な心斎橋はこの川に架かっていた橋とのことです。
空堀と長堀川の関係はいまひとつよく判らないのですが、長堀川の掘削は1625年ということなので、この辺りは空堀の一部を利用して長堀川が掘削されたみたいです。

空堀を歩く

真田丸の方向からそれてしまったことに気づき、Googleマップで軌道修正します。
長堀通りを南に横切ると、再び上り坂、真田丸があったと言われる、真田山に上がっていきます。

この辺りになってくると、私と同じように、真田丸目当てに歩いている人たちを見かけるようになります。

坂を上りきると、明星学園高校のグランドがあります。この辺り一帯の丘が真田丸のあった場所と言われていますので、歩いてみて、大阪城から孤立した台地のうえに立っていた出丸、前線基地ということが良く判ったような気になりました。

明星学園高校の壁にはこんな壁画があったりします。

真田信繁(幸村)の墓がある心眼寺は、けっこうな人がいました。門扉に六文銭のあるお寺です。

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幸村の銅像と、大阪城まで続くと言われる抜け穴がある三光神社は、有名な観光スポットになっていました。
お守りを買い求める人の列に並び、私も「勝」の文字が刻まれたものを買いました。

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この後、長堀通まで戻り、地下鉄に乗って、大阪城公園の北側にある駅から天守閣まで歩いたものの、年末ということもあり、天守閣には上がれませんでした。それにしても、大阪城の外国人比率には驚きます。日本人より多いかもしれない。^^;

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タモリではないが、高低差を足で感じながら、歴史を感じながら歩く旅、いや散歩もなかなか面白いものです。

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大阪城の遺構を歩く(1)

久々の書き込みです。何か月ぶりのことでしょうか。

夏に起こしたもらい事故以来、ほとんど自転車には乗れず、せっかくの週末も出かけずじまいのことが多くなってしまったこともあり、ブログを書く気にもなかなかなれず、書き込みが止まっていました。

おまけに12月に入った頃から、原因不明の頭痛が続き、まったく2016年後半は酷い1年に終わりました。
その1年の締めくくりに、ほぼ年末恒例になっている関西方面への小旅行に出かけました。

大河ドラマ「真田丸」の影響で、その遺構が見たくなり、行先は大阪となりました。

今回の起点は、近鉄上本町駅。初めて下車する駅です。大阪というと、平坦な町、というイメージを勝手に持っていたのですが、「真田丸」が作られた目的を知り、そうではないということを知りました。ネット上に転がっていたデジタル標高図です。

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つまり、大阪は上町台地という南北に延びる半島状の台地の両側に広がった町ということです。縄文時代のころは、上町台地以外は完全に海の上で、その後も、大雨が降れば水浸しになる湿地帯でした。難波とか浪速とかの地名が残っているのはそのためだったんですね。

半島の北の先っぽにあるのが大阪城になります。北側は、大川(旧淀川)という天然の要害、東西の両側は湿地帯が広がっていて攻め込みにくく、唯一陸地が続いている南側が入口ということになります。
この場所はかつては、信長を苦しめ、最後まで落とせなかった石山本願寺のあった場所でもありました。信長が攻めあぐねた場所を、それを引き継いだ秀吉は、守るための防御に知恵を絞ることになります。

城の南側に巨大な空堀を掘ったのもそのためであり、また、さらにその城を守るために、知恵を絞った真田幸村が編み出したのが、集約して入口を狭くして、効率的に敵を迎え撃つために作った砦が「真田丸」ということになります。

今回の小旅行は、その「真田丸」跡を訪ねるのと、南側の防壁としてその前から存在していた南惣構堀(通称「空堀」)跡をめぐるというものになりました。コースを決めたのはその前ですが、少し前にNHKで放送されていたブラタモリで紹介されていた場所と同じような場所になってしまいました。



井戸のある広場。文字通り、大阪のおばちゃんが井戸端会議中でした。



空堀周辺は東西だけではなく南北にも起伏があり、非常に複雑な地形となっています。実際に歩いてみて、地形がはっきりとわからないというのが本音のところです。

主に商店街の南側には、こんな急な坂道が細い入り組んだ路地に続いています。









空堀のあと、ということは無いかもしれませんが、商店街の裏側がこんな風になっている箇所もあります。



この辺りは、空堀の跡の他に、地形の窪み、それから、大阪城の瓦を焼くために土を掘った後の窪みがあったとも言われ、その境目がはっきりしていないようです。

坂道と段差にばかり気に取られて、商店街の写真を写すのをすっかり忘れていました。古い建物がさほど残っている訳ではありませんが、下町の活気ある、なかなかいい感じのアーケードでした。何よりも、変わっていたのは、アーケードの商店街が坂道の中を延びているという風景でした。私の記憶の中では見たことがありません。

このあと、商店街を東の方向に進んでいくと、真田丸のあったといわれる場所に出ました。

長くなってきましたので、次回に続きます。

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彩りの夏~ひまわり畑を歩く

先週末、大垣市内にあるひまわり畑を見に行ってきた。

さんさんと照りつける太陽の中、帽子を持っていくのを忘れてしまった。それから三脚も。

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当たり前だが、みんな太陽の方向を見ているので、沢山の人に見つめられているような気分になる。

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ミツバチを見るのは随分と久しぶりなような気がする。このままだと絶滅してしまうと言われているミツバチ。原因ははっきり判っていならしい。

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暑さにも負けず、大きな顔をして堂々と咲き誇っているさまを見ると、なんだか元気を貰ったような気がしてくる。

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ドクターイエローとこの場で遭遇できれば、いっそう幸せになれることだろう。

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猛暑の松阪の町を往く

事故で傷めた脚は、普段の生活には何も支障は無いのだが、さすがにロードバイクで負荷をかけるのは不安がある。
夏の間は止めにしようと思っているのだが、病院で、あまり使わないのも筋肉が固まってしまうのは良くない、と言われたので、試しに30分ほど歩いてみたら、妙な違和感が残った。単に運動不足なのかもしれないが、当たった部分の痛みがなかなか治りそうで治らない。
ちょうど同じタイミングで、カミさんも足の指を痛めてまともに歩けない状態だったのが、やっと歩ける状態になってきて、こちらもリハビリで動かさないと、と言われている。

某私鉄の株主優待券の使用期限がぎりぎりになった日、適度な散歩が出来る場所に出掛けることにした。

三重県松阪市。言わずと知れた松阪牛の本場である。
随分と昔に会社の行楽で出掛けて、高級店ですき焼きを食べた記憶がある。とても自腹で出して食べるような金額ではないので、それきりいったことも無い。

松阪は、それ以外にも、商人の町、城下町としても知られている。
一度見てみたかった、城下にある「御城番屋敷」にいくことにした。

駅から歩いて15分、とあったが、駅前にコミュニティバスが出ていたので、短い距離だったが無理せず乗ることにした。
目的の場所は松阪城址のすぐ下に直ぐに見つかった。

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端正に手入れされた生垣に数件の平屋建ての民家が並んでいる。
以前に鹿児島の知覧で見た武家屋敷跡と似た感じである。あちらのほうがずっと規模は大きいのだが、こちらは、長屋になっていて、文字通り御城の番をする下級武士が集まって住んでいる集合住宅であることが珍しいと言える。

しかも、入口の一軒は資料館として開放されているが、その他の家は民家として今も普通に一般の方が住まわれているのには驚く。
訪れた日は、燦燦と陽の照りつける暑い日だったせいもあり、観光客もほとんど歩いていない。静かなタイムスリップしたような空間だ。

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資料館に入ると、二間しかない狭い間取りで、いかにも質素、堅実な暮らしぶりが伺える。
古いミシンが置いてあって、ちょっと変な感じはしたが、江戸時代というよりもっと後の感じの生活感がある。
縁側に座っていると、暑い中にもひとひらの風が通り、遠い昔に田舎の親戚のうちに遊びに行った時のことを想い出した。

松阪城址は、天守閣はなく、城跡が公園になっている場所で、地元出身の有名な学者である本居頼長の記念館がある。残念ながらこちらは休館中だった。何をした人と聞かれても答えに窮してしまい、教科書で習った古事記の人とまでしか答えられない。

昼近くなってきたので、駅の方向に戻りつつ、食事処を探す。
名前だけは聞いたことのある老舗の「牛銀本店」はけっこうなお値段なので、その隣にある「洋食屋牛銀」へ。こちらは多少リーズナブルな値段で食事が出来る。「本店」の待たずに入れるのだが、「洋食屋」のほうは30分ほど待ってやっと食事にありつけた。

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写真を撮り忘れたが、ハンバーグ定食で1700円。まあまあのお味だった。ちなみに「本店」で座敷に上がると桁が1つ違ってくる。

それにしても暑い。本格的な夏の暑さが来たという感じ。
「参宮道」と書かれて、町並み整備されている道をそぞろ歩き、「松阪商人の館」というのに入ってみた。

木綿問屋を営んでいた豪商の一つ、小津家の屋敷を開放したものとのこと。行けなかったが、観光案内に小津安二郎青春館というのがあったことを思い出し、尋ねてみたところ、直系ではないが縁戚関係にあるとのことだった。(本居頼長も小津家と関わりがあるらしい)
あまり松阪商人という言葉はピンとこなかったのだが、三井家が松阪がルーツだったこと位は知っていた。近江商人に負けず劣らず、松阪を初めとする伊勢商人も随分と羽振りを利かせていたらしい。

「近江泥棒伊勢乞食」という言葉があるが、近江の人の狡猾さに比べて伊勢の人は人は良くて騙されやすいという意味だと思っていたが、調べてみるとそうではなく、乞食のようにお金に細かく倹約して財を成した、という一種の妬みから付けられた言葉らしい。
あるいは、乞食のように頭を下げ腰を低くして商談をまとめた、という商売のやり方から、という説もあるそうだ。

勤勉でこつこつと質素倹約して、決してエラそうな振る舞いをせずに人に頭を下げ、その結果財を成した、という凡人にはまねの出来ない成功者の生き方には違いない。

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その後、バスに乗ろうと思って歩いているうちに、駅に着いてしまった。
古そうな城下町なので、他にも見るところはあるかもしれないが、これ以上歩くと、体に支障が出てきそうなので、引き揚げることにした。

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