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僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。
2020
11
08

アラカンのビワイチ挑戦記録(2)

前回の続き。ビワイチの回想録です。

海津大崎を過ぎ、湖西エリアに入ると、あとはほとんど坂道はなく、ほぼほぼ湖岸沿いを走るだけ、という記憶があるので、時間的に見ても、まず今日中に出発地点には帰ることはできそうな目途が立ってきました。
琵琶湖の北端に近いこの辺りは、国道を離れて湖岸沿いを走るのがお勧めの場所です。マキノ町の辺りには、古い造り酒屋があったり、昔の船着き場だった名残りが湖岸沿いに残っていたりします。日本海側の産物が山を越えて運ばれ、ここから船で大津まで運ばれて京都大阪に運ばれていたので、ここは湊として栄えた場所だったようです。
AM10:05 旧海津港跡
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AM10:13 マキノ湖のテラス
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湖を望むこの辺りはリゾート地っぽくなっていて、別荘やらペンション風の建物が立っています。湖に向いたベンチなんて洒落たものまであったりして、のんびりと過ごすのにいい場所ですが、カップルやら家族連ればかりなので、長居はせず立ち去ります。
  
AM10:43 今津港 (チェックポイント)

国道から離れた湖岸沿いの道は交通量も比較的少なく、快適なペダリングを続けます。
湖西地方の中心的な町である今津を過ぎ、高島の街に入ると、どうやら祭礼の日にあたるようで、残念ながら巡行の時間には合わなかったが、提灯で飾られた煌びやかな山車を拝むことができました。
長浜や大津のに比べると小ぶりですが、ここでも山車の上で舞や歌舞伎など奉納するのかもしれません。
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デパートの高島屋は、この地がルーツとのことです。昔から商業で栄えた豊かな場所だったのでしょうね。

PM0:18 白髭神社
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湖西エリアので一番の景勝地、白髭神社です。この手前あたりから、しばらくは国道沿いを走ることになります。近づくにつれて、クルマが多くなり、大渋滞が起きていました。
パワースポットということで近年人気を集めているみたいですね。以前はこんなことは無かったと思うのですが、SNSで紹介されるせいもあって、神社の前もけっこうな人出です。

写真では、ほとんど映っていませんが、鳥居の周りをカヌーの集団がうろうろと取り巻いて、せっかくの景観が台無しでした。神社に集まってくるたくさんの人がいるので、それを意識して集まってくるのでしょうか。後で調べたら、カヌー教室をこの辺りでやっているようです。いつものルートに休みで人が集まってくるといったほうが正しいようです。

PM1:23 JR志賀駅 

この辺りになってくると、琵琶湖岸に沿う道が無くなってしまい、道をずいぶんと外れてしまいました。そんな裏道のような道でも、親子でのんびりとビワイチ?を楽しんでいる一行を何度か見かけました。なんか微笑ましいですね。

予定時間より早めに琵琶湖大橋に近づいてきたので、このまま、南湖も、という誘惑に誘われたが、痛み始めた膝が、もう年なんだから止めとけ、と言っているようなので、諦めることにしました。

あと少しで大橋というところで、順調に走っていると、
「おい、#$%&」
と私の名前を呼ぶ声に立ち止まりました。

そうです。京都に住む学生時代の友人が来てくれたのです。琵琶湖大橋で待ち合わせしよう、と約束をしていたので、知らずに通り過ぎそうでした。
ヘルメットにサングラスをしている同じようなサイクリストが走っている中、よく気づいてくれたものです。

彼は、今から40年近く前、同じ下宿に住んでいて、同じ日にビワイチを反対周りで走ったことがあります。私は半時計回り、彼は時計回りで、同じように途中で通り過ぎたことを思い出しました。
一緒に琵琶湖大橋を渡りおえた後、互いに歳をとったものだと笑いながら、10年ぶりくらいの再会に話が弾みました。
  
PM2:40 琵琶湖大橋
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PM2:55 琵琶湖サイクリストの聖地 
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琵琶湖サイクリストの聖地まで行ったところで、友人と別れました。
GW中なので、用事があったみたいなのに無理をさせてしまったようです。
幾つになっても、学生時代の友というのは有り難いものです。

PM3:55 長命寺港 

最後のチェックポイント、近江八幡の長命寺港に着き、ビワイチ達成です。
膝が痛みますが、体力的にはまだ余裕がありそうな感じでした。
還暦前にしては、よく頑張りました、と一人自分を褒めてやりました。

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実は、この日、出発時に泊まったビジネスホテルのキーを持ったまま出てしまい、一緒に泊まった家内は、私を送り出すために部屋の外に出た後、部屋に入れなくなってしまいました。

合鍵があるので、当然入ることは出来ましたが、チェックアウトの時間を過ぎてしまうため、同じ宿に連泊する羽目に陥りました。
言ってみれば、165キロ走って疲れた状態でクルマに乗って自宅に帰る、というのはちょっと無謀なのかもしれません。
翌日は、近江八幡市内を観光してゆっくりと帰宅しました。

天気にも恵まれ、長年の念願だった、もう一度ビワイチ、というのも達成できて満足感に浸りました。
今度走るとしたら、一泊かけてゆっくり回ることになるでしょう。

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2020
11
01

アラカンのビワイチ挑戦記録(1)

久々の書き込みになります。昨年4月、久々にブログを再開しようとしたのですが、頓挫してしまってから1年を経過しました。

昨年末にインフルエンザで熱を出してから入ってから、気管支系の調子が芳しくなく、続いて、原因不明の右脚の痛み、それが回復したころコロナ禍、もう自転車に乗って問題ないと思いながらも、それ以来、私の自転車は室内で埃を被っています。ここ1年、一気に体にガタが出てきた感じです。

今更ながら回想録になりますが、同年代のチャレンジャーの参考になればと、ビワイチ挑戦の駄文を綴ります。

ビワイチチャレンジの日程は1月位から練っており、彦根を起点にして1日で走って帰る、ということで前日に彦根入りするためのホテルを予約しておりました。 
距離数は、浜街道(湖岸道路)を走ることを基本にして、琵琶湖大橋を渡る、いわゆる北湖一周というコースで、約165キロ、万が一調子が良ければ、南湖を含めて完全一周の約195キロを走るというものでした。
1泊ならまず大丈夫のコースでしょうが、これを1日で走るという目標を自分に課していました。ブランクを含めて自転車歴50年のプライド、衰えつつある体を奮い立たせる、ちっぽけな目標です。 
普段は月2回程度、平均1日60キロ程度で、100キロ越えというのは、2回くらいしか走れなかったため、本当にそれ以上の距離が走れるのかどうかはぶっつけ本番です。 

ビワイチチャレンジの日は、くしくも、平成から令和に元号の変わった日になりました。
当初の決行予定日、4月30日は悪天が予想されたので、急遽予定を変更することになりました。しかし、同じホテルどころか、同じ彦根市内のホテルも予約が取れず、宿を探していくうちにようやく、近江八幡のホテルに予約することができました。ゴールデンウィークの真っただ中に5日前の予約、贅沢は言っておられません。 

5月3日。いよいよビワイチ決行の日が来ました。

前日は気持ちが高ぶっていたせいなのか、部屋の空調が悪く寒くて目を覚ましたせいもあり、何度も目を覚ましたものの、午前5時過ぎに起床。まだ薄暗く陽も差していない中を出発。
AM5:40 近江八幡 出発
やがて湖岸に出ますが、琵琶湖の向こう岸は曇っていてうっすらとしか見えません。この広い湖を一日で回ることが果たしてできるのだろうかと少し不安になってきます。

まだ何もお腹に入れていないことに気づき、湖岸にあるキャンプ場のベンチに座っておにぎり2個を食べます。 

ちょっとお腹の落ち着いたところで走り始めると、1時間ほどで湖岸道路は、文字通り湖岸にべったりと沿った場所に出ます。

横目に湖を見ながら走るのは気分の良いものです。風も殆ど吹いていないので、知らず知らずにスピードが上がります。
とはいってもせいぜい30kmです。

 早朝にも関わらず、自分だけでなく、何人かのサイクリストが思い思いのスタイルで走っています。
同じ方向を走っていると、どうしても、追い抜かれたり、追い抜いたりということになります。
競争している訳ではないのですが、追い抜く時、追い抜いた後はスピードが上がりがちになり、ペース配分が狂います。これは良くありませんね。歳と体力を考えよう、と自分に言い聞かせながら、走ります。

ビワイチ認定システム最初のチェックポイント、彦根港に到着します。
AM7:05 彦根港
相変わらず、陽が差してきませんが、天気予報は良いようなので安心です。
次のチェックポイント、道の駅「近江母の郷」はチェックポイントの場所が見つかりませんでした。まだ早朝で建物が開いていないためかその中にあるようです。
長浜市内までは、歩道として設けられた自転車レーンが狭くて段差もあるため、走りにくいので、車道を走ります。早朝なので、交通量も少なく危険なことはありません。
AM7:36 長浜港
AM8:06 道の駅「湖北みずどりステーション」
順調にチェックポイントを経過します。
信号以外はほぼ休憩なしで湖岸沿いの快適な道が続きます。 
 


長浜市内を抜けると、サイクリングロードの道幅が広くなり、段差も殆どなく快適に走ることができました。
湖北に近づくにつれて、山が湖に迫ってくる感じで、走っていても気持ちの良い道路が続きます。 
途中、男女三人組の若者が、巡行速度35キロ位超のスピードで追い抜いていくのにつられ、しばらくそれに付いて走ったのですが、辛くなってきて諦めました。余計な体力消耗です。
湖北地方で最も大きな町、木之本(長浜市)を抜けると、まもなく、八号線で最も難所と言われる賤ケ岳トンネルの入り口が前方に見えてきます。トンネル内は、道幅が狭く、交通量も多いので危険な場所として有名なところです。今はかなり改善されたようですが、数十年前、このトンネルを自転車で通った時は、後ろから迫ってくる大型トラックの轟音が鳴り響いてきて冷や汗が出る恐怖を感じたことを覚えています。当時はランドナーの太いタイヤでしたが、ロードバイクの細いタイヤで変な段差に引っかかって転倒したら即死です。(路側帯の段差にタイヤを取られて鎖骨骨折したトラウマが未だ残っています)
   
二度とあの道は通りたくないと思い前もって調べておいたのが、旧道のトンネルです。現八号線トンネルの上を通っているため、若干の上りはありますが、なによりも、現在はクルマが通行禁止になっているため、安心して走ることができます。

トンネルを抜けたところに坂道をあがったご褒美として、琵琶湖が眼前に広がるビュースポットがあります。

AM8:45 旧賤ヶ岳トンネル(賤ヶ嶽隧道)
トンネルを過ぎると、8号線に合流するまではダウンヒルに加え、車両侵入禁止の道なので、文字通り安全快適です。
曇りがちだった空もようやく晴れ間が差してきました。
快調なペースなので、この調子なら完全ビワイチも行けるかもしれないと思い始めました。
琵琶湖最奥部に来ると、交通量もぐっと少なくなり、走りやすくなりますが、コース内、前述の旧賤ケ岳トンネルを除けば、ほぼ唯一ともいえる坂道があります。
国道303号線のトンネルをくぐるまでの坂道です。琵琶湖最奥部は山が迫っていて湖岸沿いの道が無く、有料道路の琵琶湖パークウェイを通れば、菅浦という最奥の集落まで行けるのですが、湖岸沿いというよりも尾根道を展望台まで登る坂道のため、自転車でわざわざ走ろうとは思わない道です。

普段、坂道を走ることはほとんど無いので、中高年の脚力にはこれしきの坂でも堪えます。すこしだけ膝に違和感を感じるようになりました。ちょっとペースダウンしたほうが良さそうです。
坂道を下りきったところに、次のチェックポイント、湖西線永原駅があります。
AM9:21 JR永原駅
静かな集落を幾つか抜けると、やがて琵琶湖岸に合流します。
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ビワイチのルート中でもこの辺りが景観もそうですが、交通量も少ないので一番快適な場所といえます。少し舗装路面が荒れているのが玉に瑕ですが。
琵琶湖最北部に近いこのエリアは、サクラの名所としても知られ、特に海津大崎と呼ばれるこの辺りは、サクラのトンネルができ、シーズンともなると京阪神方面からの大渋滞を引き起こして一方通行規制が入ります。自転車だと渋滞は関係ないですが、一方通行の対象になるのでしょうか。
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AM9:43 海津大崎

長くなってきましたので、一旦ここで終わりとします。


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Category : 滋賀
Posted by tmz  | 0 comments  0 trackback
2019
04
28

ビワイチへの挑戦

2年ぶりの書き込みです。
休眠したままそのまま放置しようかと思ったのですが、また、少し自転車に乗り始めるようになったので、書くことにしました。

というのも、何年も前から思ってたビワイチ(琵琶湖一周)に年甲斐もなく、チャレンジする気になったからです。

決行日は、5月3日としました。

実をいうと、ビワイチは遥か数十年前、若かりし頃に走ったことがあります。その後も京都鯖街道経由の一泊での一周、それから琵琶湖大橋経由のショートカットでの一周、計3回走ったことになります。いずれも二十代の体力有り余った頃の出来事で、それを還暦も近くなった歳でまたやりたくなってきた訳です。

春になり、毎週末のトレーニング走行と、毎日のビル14階までの昇降運動、ぐらいしか準備はしていないので、若干の不安はあります。家人は、1泊してゆっくり回れば、というのですが、いい歳をして、1日で回ってこそ意味がある、との拘りを持っており、この歳になっても、目標を達成後の快感を求めて走る、あくまで自己満足です。

P4211080.jpg

あと5日、刻一刻と迫っています。
天気は大丈夫なようですが、足が動かなくなってリタイア、という不安がよぎります。念のため、輪行袋は持参しますが、そんな事態になれば輪行する気力も失せ、自転車をデポして、出発点に戻ることでしょう。
青春(書くのも恥ずかしい古臭い言葉)の思い出の総決算として、なんとか成功させたいです。

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Category : 日記
Posted by tmz  | 0 comments  0 trackback
2017
01
30

大阪城の遺構を歩く(2)

(前回の続き)

大阪城の空堀跡に沿って東西に伸びている「からほり商店街」を東に向かって歩きます。

「からほり商店街」は空堀そのもののルートよりは、少し北側を通っているものと思われます。
というのは、空堀商店街の北側も南側も坂道になっていて、堀の底というよりも、尾根道を通っているような地形になっているからです。

もっとも、この坂道というのは、大阪城を作るときに、瓦を焼くのに使われた大量の土を掘削した跡がこの辺りにあったとも言われており、人工的な地形も交じっているからさらに複雑です。

しばらく進むと、下り坂の傾斜があり、北側に小さなグラウンドのある公園、清水谷公園に出ます。この公園の北側に数メートルの石垣のような段差があります。
この段差にある石垣は、そのまま空堀のあと、という訳ではないと思いますが、真田丸のすぐ横に位置し、戦略上、重要な位置にあり、冬の陣で勇猛果敢な戦いぶりを示した木村重成が守った場所と言われています。

2016123013.jpg

この道は真田丸の跡と言われている真田山の丘と清水谷公園のある丘の間を通っている窪地になっていて、これが空堀の跡というのが自然な考え方ではないかと思います。

空堀のあとと思われる道を道なりに進んでいくと、下り坂になり少し大きな通りに出ます。長堀通りです。
通りの北側には、おそろしく急な上り坂、そのまま、大阪城の外堀に至る台地に続く段差になっています。

2016123018.jpg

後で調べてみると、この長堀通りは、長堀川という運河の跡にあたるそうで、有名な心斎橋はこの川に架かっていた橋とのことです。
空堀と長堀川の関係はいまひとつよく判らないのですが、長堀川の掘削は1625年ということなので、この辺りは空堀の一部を利用して長堀川が掘削されたみたいです。

空堀を歩く

真田丸の方向からそれてしまったことに気づき、Googleマップで軌道修正します。
長堀通りを南に横切ると、再び上り坂、真田丸があったと言われる、真田山に上がっていきます。

この辺りになってくると、私と同じように、真田丸目当てに歩いている人たちを見かけるようになります。

坂を上りきると、明星学園高校のグランドがあります。この辺り一帯の丘が真田丸のあった場所と言われていますので、歩いてみて、大阪城から孤立した台地のうえに立っていた出丸、前線基地ということが良く判ったような気になりました。

明星学園高校の壁にはこんな壁画があったりします。

真田信繁(幸村)の墓がある心眼寺は、けっこうな人がいました。門扉に六文銭のあるお寺です。

2016123010.jpg

幸村の銅像と、大阪城まで続くと言われる抜け穴がある三光神社は、有名な観光スポットになっていました。
お守りを買い求める人の列に並び、私も「勝」の文字が刻まれたものを買いました。

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この後、長堀通まで戻り、地下鉄に乗って、大阪城公園の北側にある駅から天守閣まで歩いたものの、年末ということもあり、天守閣には上がれませんでした。それにしても、大阪城の外国人比率には驚きます。日本人より多いかもしれない。^^;

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タモリではないが、高低差を足で感じながら、歴史を感じながら歩く旅、いや散歩もなかなか面白いものです。

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Category : 小旅行
Posted by tmz  | 0 comments  0 trackback
2017
01
18

大阪城の遺構を歩く(1)

久々の書き込みです。何か月ぶりのことでしょうか。

夏に起こしたもらい事故以来、ほとんど自転車には乗れず、せっかくの週末も出かけずじまいのことが多くなってしまったこともあり、ブログを書く気にもなかなかなれず、書き込みが止まっていました。

おまけに12月に入った頃から、原因不明の頭痛が続き、まったく2016年後半は酷い1年に終わりました。
その1年の締めくくりに、ほぼ年末恒例になっている関西方面への小旅行に出かけました。

大河ドラマ「真田丸」の影響で、その遺構が見たくなり、行先は大阪となりました。

今回の起点は、近鉄上本町駅。初めて下車する駅です。大阪というと、平坦な町、というイメージを勝手に持っていたのですが、「真田丸」が作られた目的を知り、そうではないということを知りました。ネット上に転がっていたデジタル標高図です。

osaka_map.png

つまり、大阪は上町台地という南北に延びる半島状の台地の両側に広がった町ということです。縄文時代のころは、上町台地以外は完全に海の上で、その後も、大雨が降れば水浸しになる湿地帯でした。難波とか浪速とかの地名が残っているのはそのためだったんですね。

半島の北の先っぽにあるのが大阪城になります。北側は、大川(旧淀川)という天然の要害、東西の両側は湿地帯が広がっていて攻め込みにくく、唯一陸地が続いている南側が入口ということになります。
この場所はかつては、信長を苦しめ、最後まで落とせなかった石山本願寺のあった場所でもありました。信長が攻めあぐねた場所を、それを引き継いだ秀吉は、守るための防御に知恵を絞ることになります。

城の南側に巨大な空堀を掘ったのもそのためであり、また、さらにその城を守るために、知恵を絞った真田幸村が編み出したのが、集約して入口を狭くして、効率的に敵を迎え撃つために作った砦が「真田丸」ということになります。

今回の小旅行は、その「真田丸」跡を訪ねるのと、南側の防壁としてその前から存在していた南惣構堀(通称「空堀」)跡をめぐるというものになりました。コースを決めたのはその前ですが、少し前にNHKで放送されていたブラタモリで紹介されていた場所と同じような場所になってしまいました。



井戸のある広場。文字通り、大阪のおばちゃんが井戸端会議中でした。



空堀周辺は東西だけではなく南北にも起伏があり、非常に複雑な地形となっています。実際に歩いてみて、地形がはっきりとわからないというのが本音のところです。

主に商店街の南側には、こんな急な坂道が細い入り組んだ路地に続いています。









空堀のあと、ということは無いかもしれませんが、商店街の裏側がこんな風になっている箇所もあります。



この辺りは、空堀の跡の他に、地形の窪み、それから、大阪城の瓦を焼くために土を掘った後の窪みがあったとも言われ、その境目がはっきりしていないようです。

坂道と段差にばかり気に取られて、商店街の写真を写すのをすっかり忘れていました。古い建物がさほど残っている訳ではありませんが、下町の活気ある、なかなかいい感じのアーケードでした。何よりも、変わっていたのは、アーケードの商店街が坂道の中を延びているという風景でした。私の記憶の中では見たことがありません。

このあと、商店街を東の方向に進んでいくと、真田丸のあったといわれる場所に出ました。

長くなってきましたので、次回に続きます。

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Category : 小旅行
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