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僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。
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琵琶湖を見に行きます(3)

またまた前回の続きです。
摺針峠を短い急坂を下りきると、国道8号線(R8)に合流します。
まもなく、旧道の入り口があり、中仙道鳥居本宿に入ります。鳥居本という地名、京都の嵯峨野にもあり有名ですが、こちらは特別な観光資源もないせいか、ひっそりとしています。

ここはすでに行政区分で言えば彦根市なのですが、かつてはこの辺が彦根の中心地でした。
かつてといっても、400年以上も前の話、関が原の戦いの勝者である徳川家康の譜代である井伊直政が、敗者である石田光成の領地であったこの地にやってくる前のこと、この町は、中仙道の宿場であると同時に、佐和山城の城下町としても栄えたようです。

敗者の痕跡は勝者によって徹底的に破壊されるのが世の慣わし、佐和山城の替わりに、今の彦根城が作られ、城下町の中心も湖側へ移りました。彦根城の石垣は佐和山城のものを使っているというのは有名な話ですね。

豊臣家に対して義を貫いて破滅した石田光成、替わってこの地を治めた井伊家から、300年後、井伊直弼というある意味、幕府に対して義を貫いた人物が出てきた、というのも皮肉なものですね。
ともに評価の分かれる人物ですが、歴史の分岐点で同じような立場に置かれ、非業の死を遂げる、判官びいき、という訳でもありませんが、ともに嫌いな人物ではありません。

鳥居本宿はさすがに町が消え去ることはありませんでしたが、町の賑わいからは取り残された、のでしょう。古い昔ながらの町並みが残っており、その中でも特に目立つ、要塞のような立派なお屋敷が現れました。

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このお宅は、有川家といって、「赤玉新教丸」という薬を350年も前から製造し、現在も製造・販売を続けているらしい名家です。明治天皇行幸の際の休憩所として使用された、とあるから、かつてからこの町を代表する家であったようです。公開はされていないようですが、ここだけタイムスリップしたかのように昔の店が再現されています。

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赤いポストもまだ現役で、1日1回集配にくるようです。

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R8沿いを走っている近江鉄道の駅舎、昭和初期に立てられたままのレトロな味わいの建物です。

この近江鉄道、略して近鉄、とは関西の人も言わないようですが、全国一の私鉄である近畿日本鉄道よりも歴史は古いのです。西武グループのオーナー堤氏の出身地という縁で、随分昔に西武グループの一員になっています。

私も随分と昔に一度だけ乗ったことがあります。
並行して走っているJRの2倍の料金、しかも本数も少なく遅いので、乗る必要は無いですが、あくまで話のネタにです。
車内はなぜか東京や埼玉の広告が載っていました。西武鉄道のものをそのまま持ってきて使っているんでしょうね。
ネットで見ると、今も同じみたいです。
経営努力のなか、地域の貴重な足として利用され続けています。サイクルトレインを実施しているらしいですね。

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ということで、琵琶湖畔にたどり着き、彦根市内をぶらぶらして帰途につきました。
潮の香りはしませんが、これだけ見ると海の景色ですね。

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新しいタイプの輪行袋への詰め込みは予想外に時間が掛かりました。
説明書を見ながら約40分。どうも詰め方も下手くそでいびつな形状で自立できない有様です。
目の前で電車が出発して30分以上もホームで待つ羽目になりましたが、目一杯に体を動かした充実感がありました。

走行距離:116キロ

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琵琶湖を見に行きます(2)

前回の続きです。
「寝物語の里」を抜けると、近江の国です。どうってことは無い風景ですが、町並みが少し変わったことに気づきます。ベンガラ塗りの民家ですね。これを見ると、近江に来た、いわゆる西国に来た気がします。



近江に入って最初の宿場は柏原(かしわばら)宿です。ここは何度も来たことがありますが、観光化されていない落ち着いた町並みが気に入ってます。

この町で一番有名な、艾(もぐさ)やさん。この日も入り口の真正面にクルマを停められてガードされています。店先の巨大な福助人形は健在ですが、撮影禁止の張り紙と、その前に座って黙々と仕事をされている女将さん。真正面から見るのは勇気が要ります。

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カメラを持ってうろうろしていると、同年代位のパトロール中の警官に声を掛けられ、しばらく立ち話をしていました。こんな長閑な町に犯罪なんてめったに起きないんでしょうね。軽い職務質問タイムです。
7時に名古屋を出てここまで走ってきたって言ったら驚いてました。この先は琵琶湖まで下りですよ、なんて言ってましたが、確かに地図で見ると、この辺りが一番標高が高いようです。(正確には中仙道を走るともう一つ峠があります)

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柏原を抜けると、名神高速道路沿いのラブホテル街の裏を旧街道は走っています。R21を交差すると、まもなく、醒ヶ井の町に入ります。

醒ヶ井宿は昔から水の豊かな場所として知られていたようで、湧き水と用水(地蔵川という名前が付いてます)が街道沿いを通っている、緑豊かな町並みです。予想以上の人出に驚きます。観光バスのツアーまでやってくるようです。かつては醒ヶ井といえば、(私は)養鱒場しか連想しないひっそりとした町でした。

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お目当てはこの川藻です。梅花藻(ばいかも)といって、水の中に小さくて可憐な花が咲くそうです。
今は季節はずれでこのように花はありませんが、気温がぐんぐん上がるこの日、見ているだけで涼しげです。
その辺に腰掛けてぼーっと川面を眺めていたい衝動にも駆られますが、オバちゃん軍団の奇声に我に帰り、先へ進みます。

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街道沿いには、昭和初期の郵便局跡。そう、近江と言えば、ヴォーリス建築です。
洋と和の折衷、レトロモダンの風がこんな静かな街にも吹いていました。
退屈そうにしていたボランティアらしき案内人のおじさんとしばらく立ち話をします。

「ちょうど、花博のころからこの町にも観光客がたくさん来るようになりましてな、伊吹山のお花畑とセットのバスツアーがぎょうさん来ます、花はもっと暑い頃がいちばんでっしゃろな」、なんてことを言ってました。
近江ことば、まったりしてていいですね。

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さて、昼も近づいてきました。この先、食べる場所はしばらく無いでしょう。先へ進むことにします。十分、この先まで行けそうです。本当に大丈夫かな。

次の宿場、番場宿に進む途中に旧道を見失ってしまいますが、忠実に名神高速沿いに走るうちに復帰します。
ひっそりと落ち着いた町並みの番場宿を通過するうち、徐々に勾配が上がっていきます。

名神高速に沿ってしばらく走ります。一直線に先が見える坂道というのは辛いものですね。短いけど結構急勾配です。ロードの集団がやって来るのがずっと向こうから見えます。彼らが来なかったら引いていたかもしれません。^^;
標高200m程度しかないはずですが、それにしても坂道への堪え性が無くなってきました。

名神のトンネルが上りのピークでいったん少し下がってからまた上りです。小さな集落の中を通過したかと思うと、そこが摺針峠です。かつては琵琶湖が雄大に広がる中仙道でも指折りの景勝地だったそうですが、いまはうっすらと田んぼの向こうに僅か見えるだけです。田んぼの部分はかつての湖なのでしょう。確かに一汗かいた後に広がる雄大な景色は旅人の心を慰めるに十分なものだったでのしょうね。

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なんとか琵琶湖を見る、という私の今日の目的はこれで達することができました。

道路の上にある望湖堂は、普通の民家のみたいな家です。江戸時代後期に「皇女和宮」も休憩したらしい立派な茶屋もありません。座る場所も無く、早々に峠を下ることにしました。

急な坂道をあっという間に下りきると、まもなく鳥居本宿です。

次回に続きます。

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琵琶湖を見に行きます(1)

週末はいい天気になりました。すっかり夏の陽気ですね。
輪行袋も手に入れたことだし、中仙道を行ける所まで行こうと、朝7時少し過ぎ、気温を上がらないうちに距離を稼ごうと、いつも通る美濃街道を西へ進みます。

垂井の中仙道美濃路追分です。ここから先は中山道に合流です。

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今月の初めに来たばかりの垂井宿です。そんなに古くなさそうですが、雰囲気のある旅籠。町外れから、少しずつ坂道が始まりますが、まだまだ余裕です。

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ここから先の中仙道はR21と並行しつつ、時折合流しながら、通っていて交通量の多いR21をあまり走らずに済み、いい感じで走っています。

僅かですが、松並木が残っています。この辺りは、桃配山といって、関が原の合戦の時に家康が陣を敷いた場所とのことです。その理由は、はるか昔にかの地で行われたもう一つの合戦、壬申の乱で、勝者である大海人皇子(おおあまの
おうじ)が陣を敷き、兵士に山桃を配ったという言い伝えがあり、家康は縁起を担ぎこの場所に陣を置いたとのこと。縁起担ぎは昔から勝負事には欠かせない重要なものだったんですね。

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まもなく、関が原の街に入ります。今の市街のほぼ中心にある本陣跡、その裏には大きなスダジイの巨木があります。
何年か前にも見たことがありましたが、ほとんど枯れかけていました。今は修復のために包帯でぐるぐる巻きにされています。
関が原の合戦も見てきたモノ言わぬ生き証人として、これからも大切にされていくのでしょう。

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その先、松尾という集落にある、春日神社。ここは、関ヶ原の合戦時の先鋒を務めた福島正則の陣が置かれた場所。倍以上の兵を有して布陣する西軍の宇喜多秀家と一進一退の激しい攻防戦を演じます。今やそんなことを感じさせないごく普通の住宅地になっています。

神社の境内にある月見宮大杉。幹周り5.8m、樹齢800年の巨木で、関ヶ原合戦図屏風にも描かれているそうです。

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その先、不破関跡などの資料館もありましたが、まだ空いてなさそうなので通過。
この辺りは、先に書いたもうひとつの天下分け目の戦い「壬申の乱」の激戦地でもあります。
うっそうとした薄暗い森の先にある、「自害峰の三本杉」への標識。
壬申の乱で破れ、自害した大友皇子の頭が葬られていると伝えられ、その印として植えられている三本杉です。
実はこの場所、随分前に来たことがあるのですが、なんか道が草深くなっていて一人では気味悪いので止めにしました。

渋い感じのレンガのトンネルがあるので、近づいてみると、「黒血川・・」の文字。
何の変哲もない長閑な用水路みたいな川が血に染まっていた、訳ですね。

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その先には、常盤御前の墓もありました。常盤御前は、源義朝の愛妾、つまり義経の母親ですね。東国に走った義経の行方を案じ、後を追う途上、賊に襲われて息を引き取ったと言われています。
負ける戦と知りながら石田光成との友情?から西軍に参加した大谷吉継(大谷刑部)の墓もこの辺りにありました。

交通の要害でもあったこの地は長い時代を通じ、様々な人々が通り過ぎ、あるいは戦い、非業の死を遂げた場所でもあります。

もっとゆっくり見ても良い場所かもしれませんが、暑くなる前に先へ進むことにします。
今須宿の町並みを過ぎ、再度R21と交差すると、長久寺に入ります。

ここがかの有名な「寝物語の里」です。
かつてより、一つの村の中に美濃の国と近江の国の国境線が通っていたそうです。
かつては、国境であると同時に、銀本位制と金本位制の境界線、ことばに関しても、
この辺りは今でも、西日本と東日本を分け隔てるラインになっており、「アホ」「バカ」の境界線、
薄味と濃い味の境界線、昆布だしとカツオだしの境界線、とかいろいろあるみたいですが。
いつも、忘れるのですが、この辺のコンビニで買う「どん兵衛」はどちら味なんでしょうか。

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だらだら書いてたら長くなりましたので、この辺にします。
次回は近江編です。

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中仙道太田宿を歩く

少し前の休日、クルマで岐阜方面へ。

岐阜県内の中仙道の宿場町はほとんど行ってみたのですが、太田宿というのが古い町並みが残っているらしいとのことで歩いてきました。ホントは自転車で走りたかった所なんですが...

中仙道の宿場町だった太田という町が元々この辺の中心地(今もJRの駅は美濃太田)で、かなり前の町村合併で美濃加茂市と呼ばれているところです。

美濃加茂市、と言えば、今年の春、ソニーの工場が閉鎖されたばかり、2千人ほどの雇用が失われたそうです。
5万人の人口で2000人の雇用ってのはけっこう大きいでしょうね。
日曜のせいもありますが、心なしか、幹線道路もひっそりとした感じがします。

観光資源の一つだった、木曽川の「ライン下り」も今年から中止されてしまい、ちょっと元気のなさげの街のようですが、最近、全国最年少の市長が選出されたことでも有名になりました。

中仙道は、幹線道路である国道21号の南、木曽川の間を通っており、本陣の建物を中心に、古い町並みが残っています。
皇女和宮の降嫁の時に建てられたそうなのですが、それでも築150年弱。



脇本陣林家。板垣退助が「板垣死すとも自由は死せず」と言った前の晩に泊まった宿、だそうです...



一般道路の上を跨ぐ渡り廊下のある造り酒屋。(御代桜醸造)
こういうのは道路占有料とかのお金を払うんでしょうか?



本陣の建物も立派なのですが、屋根の先っぽのところにある焼き物に目が行きます。魔よけのようなものだと思いますが、何と呼ぶのでしょうか?





これは、元銀行の建物。瓦に「銀」の文字が。瓦と側壁だけ元のイメージが残っていますが、普通の住宅になっています。頑丈そうな造りでした。



判りやすい看板。



Discover Japanって言葉が大昔にありましたが、探せば、こんな町並みはまだまだ近くにも有るんですね。

3

中仙道鵜沼宿を往く

前回の続きです。
鵜沼(うぬま)宿は、中仙道の宿場町として栄えたところです。

すぐ南には木曽川がありますが、この辺りは川幅が比較的狭く、両側に川が迫っています。ちょっと上流には「日本ライン下り」なんて急流の名所もある位で、昔から川の氾濫に悩まされた場所なんでしょうね。

鵜沼宿の脇本陣跡は、あまりにも綺麗だったので、座敷に上がってまで見る気もせず、なんとなく裏庭を見ていたら、案内のおじさんが、この地層から、かつて木曽川の水位を示す跡があるというようなことを言っておられました。
そういえば、名鉄が通っている橋の辺りで、木曽川がボトルネックになっている感じです。

脇本陣の少し東にある、「中山道鵜沼宿町屋館」。
江戸時代の旅籠を再現した建物です。古い材料をできるだけ生かして組みなおしたそうです。ここでもボランティアらしきおじさんが中まで案内してくれました。

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その向かいにある立派な城門。なんでも大垣城の本丸に立ってた門で、明治初年の廃城令で売りに出されたものらしい。隣町の安積さんという人が買って門として使っていたものを、さらにこの地に移築したらしい。

さらに案内人のオジサンによれば、移築するまでは、岐阜にある加納城の門だと誰もが思っていたらしいが、移築のために分解したとき、そのパーツに書かれていた文字を見て、大垣城のものだと改めて認識したらしい。まあ、なんとも長閑な話ですが、昔は、古いものっていっても、今ほど有り難く扱われていなかった訳ですね。

世界遺産の姫路城天守閣が23円50銭で競売に掛けられたらしいですが、この門はいったい幾らだったんでしょうね。

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でも、近くで見ても立派な造りの門です。鉄板で覆われた完全防火仕様です。このタイプの門で、現存しているのは、大阪城と名古屋城、それとこの門の2つしかない、と説明版に書いてありました。

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帰り道は、素直に同じルートを戻らず、できるだけ川に沿って走ろうと、木曽川北岸の川沿いの道に入ります。

快適なサイクリングロードが何処にでもあると思ったら大間違いですね。いけどもいけどもダートが続き、道は細くなるし、水溜りで走行困難になっていくし、視界は開けないし、抜け道もほとんどないし。通り過ぎたのは、オフロードバイクにのったお兄さんただ一人。

ここで、ipodのWi-hi登場です。現在地は何処かなっと。

駄目でした。ネットに繋がりません。
(したがって道がはっきりしないので、ルートラボ上の地図はおおよその感じです)

人家は直ぐ上に見えてるんですけどね。そこまで上がる道がない。結局、唯一あった抜け道まで引き返します。

でも、最近のタイヤはけっこう細くても丈夫だということが判りました。

本日の走行距離:32.57km
走行時間:1時間56分
平均時速:16.7km


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