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僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。
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養老公園まで

4月も半ばというのに今ひとつ春になりきらない週末の日曜日、雨は降りそうにない様子なので、少し足を延ばしてみることにした。

濃尾平野の平らな道を、ひたすら西へ西へ進むと、だんだん見えてくる山並みが目的地、養老公園という、この近辺ではメジャーな観光地だ。

親孝行の息子が親の為に滝に水を汲みに行った所、それが不老長寿の水(酒または酒の匂いがする水)で、 その滝の水を飲ませたら長生きしたという伝説は有名。

去る40年ほど前、中学生の頃に何人かの仲間と連れ立って、買って貰ったばかりのスポーツ車(当時流行ったセミドロップハンドルの付いたオール鉄製のジュニアスポーツ車である)に乗って出掛けた最も遠い距離を走った場所だ。

いつも通る津島街道は、殆ど信号も無い裏道なので、休日は車も特に少なく、ゆったり走るには適している。

休憩もなく、一気に木曽川まで。東海大橋を渡って岐阜県へ。40年前とほぼ同じ道ではないかと思う。
当時はまだ、東海大橋は新しい橋で、有料だった記憶がある。もちろん、周りの風景も今とは随分違っていたことだろう。

田んぼが一面に広がっているようなこの辺りの場所で、大きく膨らんだ気球が見えた。

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近づいてみると、気球に乗った一人の男性がパトカーに乗った警官に尋問されている?ように見えた。
警官以外はその男性だけ、回りはパトカー以外のクルマもなく、風に流されてその場に下りたのか、
気球は飛ばす前の許可を取っていなかったのだろうか、警官が電話で問い合わせを行っていた。

目の前に見えてきた養老の山並みは近そうで遠い。
真っ直ぐな田んぼの一本道をひたすら走るのみ。風も無く、暑くもなく寒くもなく、ゆったり走るには丁度良い。

自宅をでて走ること2時間、近鉄養老駅に出る。
この養老線は、自転車がそのまま持ち込める路線としても有名。私も利用したことがある。
サクラの季節は過ぎたとはいえ、観光地の駅前にしては侘しい。
ちょうど着いた桑名発の電車から降りてきたのは、普通の自転車に乗った私より年配のおじさんが2人。
まさか養老の滝まで行くんじゃないよね。

駅の真ん前の道から急坂がいきなり始まる。
走り始めて、500メートル位、養老公園の入口付近で、目的地まで走りきることは無理だと確信した。

前方にママチャリに乗って後ろに子供を乗せた初老の男性が軽やかにペダルを回しているのが見えた。
そこまで体力が落ちたか、と思って近づいてみれば、動力付の自転車だった。

それでも、めげずに人の沢山歩いている場所では、下りて引くことはサイクリストとしてのプライドが許さず、止せばいいのにペダルを回す。ところが、土産物屋の立ち並んでいる場所を過ぎ、滝まであとxx分という立て札を見て、先がまだまだ長いことがわかった途端、一気に力が抜けて、あっさりと歩行者になった。

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久々の坂道に足元がふらつく寸前で、滝の見える場所までなんとか辿りつき、カメラに収めると、これ以上は行かないほうがいいと本能が訴えるので、引き返すことにした。

40年前は自転車で滝の前まで行った、のだろうか。記憶が無い。
平坦な道はそれなりに走れるように見えても、坂道への反応は正直に私の今の体力を教えてくれる。

翌日は歩行に若干の支障をきたしたことは言うまでもない。
今日判ったのは、走るのは土曜にしたほうが良さそうだということと、もう数枚歯の多い後ろのギヤが要るということ。



本日の走行距離: 83.9 km
平均時速: 20.9 km

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琵琶湖を見に行きます(1)

週末はいい天気になりました。すっかり夏の陽気ですね。
輪行袋も手に入れたことだし、中仙道を行ける所まで行こうと、朝7時少し過ぎ、気温を上がらないうちに距離を稼ごうと、いつも通る美濃街道を西へ進みます。

垂井の中仙道美濃路追分です。ここから先は中山道に合流です。

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今月の初めに来たばかりの垂井宿です。そんなに古くなさそうですが、雰囲気のある旅籠。町外れから、少しずつ坂道が始まりますが、まだまだ余裕です。

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ここから先の中仙道はR21と並行しつつ、時折合流しながら、通っていて交通量の多いR21をあまり走らずに済み、いい感じで走っています。

僅かですが、松並木が残っています。この辺りは、桃配山といって、関が原の合戦の時に家康が陣を敷いた場所とのことです。その理由は、はるか昔にかの地で行われたもう一つの合戦、壬申の乱で、勝者である大海人皇子(おおあまの
おうじ)が陣を敷き、兵士に山桃を配ったという言い伝えがあり、家康は縁起を担ぎこの場所に陣を置いたとのこと。縁起担ぎは昔から勝負事には欠かせない重要なものだったんですね。

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まもなく、関が原の街に入ります。今の市街のほぼ中心にある本陣跡、その裏には大きなスダジイの巨木があります。
何年か前にも見たことがありましたが、ほとんど枯れかけていました。今は修復のために包帯でぐるぐる巻きにされています。
関が原の合戦も見てきたモノ言わぬ生き証人として、これからも大切にされていくのでしょう。

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その先、松尾という集落にある、春日神社。ここは、関ヶ原の合戦時の先鋒を務めた福島正則の陣が置かれた場所。倍以上の兵を有して布陣する西軍の宇喜多秀家と一進一退の激しい攻防戦を演じます。今やそんなことを感じさせないごく普通の住宅地になっています。

神社の境内にある月見宮大杉。幹周り5.8m、樹齢800年の巨木で、関ヶ原合戦図屏風にも描かれているそうです。

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その先、不破関跡などの資料館もありましたが、まだ空いてなさそうなので通過。
この辺りは、先に書いたもうひとつの天下分け目の戦い「壬申の乱」の激戦地でもあります。
うっそうとした薄暗い森の先にある、「自害峰の三本杉」への標識。
壬申の乱で破れ、自害した大友皇子の頭が葬られていると伝えられ、その印として植えられている三本杉です。
実はこの場所、随分前に来たことがあるのですが、なんか道が草深くなっていて一人では気味悪いので止めにしました。

渋い感じのレンガのトンネルがあるので、近づいてみると、「黒血川・・」の文字。
何の変哲もない長閑な用水路みたいな川が血に染まっていた、訳ですね。

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その先には、常盤御前の墓もありました。常盤御前は、源義朝の愛妾、つまり義経の母親ですね。東国に走った義経の行方を案じ、後を追う途上、賊に襲われて息を引き取ったと言われています。
負ける戦と知りながら石田光成との友情?から西軍に参加した大谷吉継(大谷刑部)の墓もこの辺りにありました。

交通の要害でもあったこの地は長い時代を通じ、様々な人々が通り過ぎ、あるいは戦い、非業の死を遂げた場所でもあります。

もっとゆっくり見ても良い場所かもしれませんが、暑くなる前に先へ進むことにします。
今須宿の町並みを過ぎ、再度R21と交差すると、長久寺に入ります。

ここがかの有名な「寝物語の里」です。
かつてより、一つの村の中に美濃の国と近江の国の国境線が通っていたそうです。
かつては、国境であると同時に、銀本位制と金本位制の境界線、ことばに関しても、
この辺りは今でも、西日本と東日本を分け隔てるラインになっており、「アホ」「バカ」の境界線、
薄味と濃い味の境界線、昆布だしとカツオだしの境界線、とかいろいろあるみたいですが。
いつも、忘れるのですが、この辺のコンビニで買う「どん兵衛」はどちら味なんでしょうか。

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だらだら書いてたら長くなりましたので、この辺にします。
次回は近江編です。

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輪行袋を盗まれた?

ゴールデンウィークと言っても、真ん中に出勤日があるわけで、3連休と4連休が2つあるに過ぎないのですが、
それでも、自転車に乗るにはちょうど良い気候なので、いつものポタリングコースに出掛けることにしました。

美濃路は、今までに途中までは幾度も走ったことがあるし、起点から終点まで歩いたこともある道なので、コースはくねくねして途中で見失いそうになる箇所もいくつかあるのですが、迷うこともなく快適にペダルを回します。

昨日のようにカンカン照りというほどの強い日差しでもないものの、長袖のTシャツ1枚でも汗ばむほどの陽気です。

2時間ほどで墨俣(秀吉の一夜城で有名な町です)に入り、11時を少し回った位で、ちょっと早いですが、日曜でもランチをやっているすし屋に入ります。
にぎり寿司とうどん、野菜サラダ、それに食後のコーヒーが付いて790円、とリーズナブルです。
回っている寿司屋でなく、職人さんが握ってくれるすし屋なので、まあお値打ちだと思います。

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木曽川、長良川、そして揖斐川と、いわゆる木曽三川を渡り、大垣の町に入ります。

大垣の中心部を流れるお堀に巨大はコイが群れをなして泳いでいるのをしばらくの間、観察していると、ボスのような巨大なコイを追いかけて、何匹かのコイが時折、バシャバシャと音を立てながら群がっているようです。まるで1匹のメスを狙ってオスが奪い合いをしているようにも見えました。求愛行動のひとつなんでしょうか。

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奥の細道の終焉の地近くには、確か展示館があったのを思い出し、そこのトイレを使わせてもらおうと、その建物に入ります。展示館は無くなっていたのですが、公的な建物のようなので、トイレだけ使わせてもらい、ルートを進めます。

今日の予定は、美濃路の終点である垂井まで走り、ゆっくりと輪行で帰るつもりだったので、まだ十分な時間があります。
そこで水分補強をしようと、視線を下に落としたときのことです。

へ?輪行袋が無い?


この日、自転車から離れたのは、さきほどのトイレと昼食の場所だけのはず。
とりあえず、トイレを使った場所に戻りますが、あるはずはありません。その時、輪行袋は外した覚えはありません。
とすれば、昼食を取ったすし屋か?でもその時は、たしか輪行袋は外したはず。店に置き忘れたか?

こうなれば、いずれにしても復路も走るしかありません。
最短距離のルートで走り始めると、ふとあることに気づきました。途中で写した写真で落とした場所が判るはず、と。
写真を自転車入りで写すことが役立ったわけです。しかし、残念ながら、最後の写真まで輪行袋は写っています。

途中で落とした可能性もありますが、最後の写真から後はそれほど距離もなく、振動の加わるようなダウンヒルも無いし、多少の振動で落ちるような状態ではないので、多分僅かな時間で、盗られた可能性が高そうです。

結局、来た道は引き返さざるを得ません。ほぼ同じコースを引き返し、疲れが文字通り倍増。

しかし、まあ、輪行袋だけ取っていくなんぞ、サイクリストにそんな奴がいるとは思いたくないですが、輪行袋と知って持っていったのでしょうか。

自転車から離れるときは荷物に気をつけましょう。
いざ帰ろうと思ったときに、その手段が無いショックは大きいです。

でも、行った先で自転車を盗られた、もしくはタイヤの片方だけ盗られた、とかに比べれば、ましですね。
(いずれも経験なし)

それにしても、80キロ以上の距離を走ったのは何十年ぶりでしょうか。はあ、疲れた。


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