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僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。
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早春の湖北路をゆく(2)

前回の続き。

木之本のあたりを走っていると、幹線道路はこんな感じになっている。
南のほうでは見かけないので、おそらく雪の関係だろうと察しはついたのだが、地元の人に聞いてみた。

融雪水、つまり雪を溶かすために流す水のせいでこの色になるらしい。
そんな装置は新潟とかの豪雪地帯だけのものだと思っていたが、このあたりはそれに匹敵するほど雪が降るってことなんだろうか。確かにシベリアの季節風直撃の地域。

管の中の錆びが流れ出て、この季節は毎年こんな感じになるらしい。こんな近くにそんな装置があるとは知らなかった。

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本当は、小谷城とかの戦国時代の史跡へ行くつもりだったのだが、パンクとか、道を間違えたりとかでタイムロス、予定を変更してそのまま長浜へ行くことにした。

決して暖かくはないが、寒くも無い、ほぼ快晴に恵まれたこの日、左手にまだ白い冠を被った伊吹山を眺めながら、のんびりと交通量の少ない道を選んで走る。

言わずと知れた我が郷土の英雄、太閤秀吉の作った街、長浜。

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かつてはご他聞に漏れず、典型的なシャッター商店街だったこの街が、観光開発で見事に蘇った。町興しの日本有数の成功例ではなかろうか。いかにも造り物の観光施設、土産物屋も無いことは無いが、昔の建物を生かした町並み、メインストーリートを少し外れると、昔の表情が今も残っているのがこの街の魅力だ。

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そういえば前回の大河ドラマ「黒田官兵衛」の文字がちらほらと。今回訪れた木之本の辺りに黒田家のルーツがあるということであやかっているらしい。平成の大合併のために、今回訪れたエリアは全て長浜市ということになっている。
けっこうな面積の大きな町になっていることは知らなかった。

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長浜は、秀吉が信長を見習って楽市楽座を開いて作った商人の街。
江戸時代に至るまで免税地として優遇されたそうだ。今も白壁の土蔵をもつ商家が幾つか残っている。
彦根が武士の町なら長浜は商人の町。

元は今浜という地名だったのを、信長にあやかって長浜にしたという、まさにサラリーマンの鏡。本人の実力もさることながら、天下人になるような人物は違うなあ。^^;

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駅前にあった食堂。
周りの建物は立て直されているが、昭和の香りたっぷりの存在感を放っている。今度来る時も残っていて欲しい。

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ぶらぶら歩き回っているうちに夕方になってきたので、湖畔に戻る。
豊公園の湖岸沿いの遊歩道では、何組ものカップル、団体が思い思いにゆったりとした時間を愉しんでいる。

天気がよければ、向こう岸の山陰に沈む大きな太陽が見えるのだが、この日は黄砂のためか、夕日が薄ぼんやりと蔭って見えたのだが、それはそれで幻想的に見えてくる。
思わず、うん十年前の若かりし頃にここに来たことを思い出した....

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本日の走行距離:50.4km 平均時速:不明

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早春の湖北路をゆく(1)

ようやく春めいてきた春分の日、まだ少し寒いかなと思いつつも、琵琶湖畔にポタリングへ出かけることにした。
先日、別の病院へセカンドオピニオンに出かけ、肩の具合は自転車に乗るには支障の無い状態ではあることを確認したのだが、一人だと暴走するからということで、今回はカミさんの監視付きである。

長浜の豊公園という、湖畔にある公園の駐車場にクルマを置き、午前9時にスタート。

予想した通り、風はまだ冷たい。3月末と言えども、琵琶湖周辺の山々は、まだ雪を被っている。滋賀県の北半分は近畿地方というよりは、北陸地方の気候に近いと言われている。

実際には、向こう岸に比良山地の残雪を残した山並みが見えるのだが、霞みが掛かっているうえに写す技量が伴わないのでインパクトが無いような写真になってしまった。浮かんでいるのは、西国三十三所観音霊場の一つ、竹生島。

こういう広い空は日常生活で見れていないので、心が晴れ晴れとしてくる。

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綺麗なポイントで、写真を写そうと思っているうちに、パンクというアクシデントが発生。
久々のチューブ交換に手間取り、思わぬ時間ロス。
一気にテンションが下がってしまった。しかし、替えのチューブを持ってきていて助かった。^^;

カミさんのペースにあわせて、文字通りのポタリングで、折り返し予定地点の木之本に着いたのは昼少し前。
食事後に、北国街道沿いの町並みをぶらつくことにする。数年前にもクルマで来たことがある場所だ。

木之本のシンボルと言える木之本地蔵。伝承によれば、奈良時代の建立といわれる由緒あるお地蔵様。
眼病に霊験あらたかということで有名らしい。
賤ヶ岳合戦の際には、秀吉の本陣が置かれた、と書いてあった。

写真の銅像は明治時代のもので本尊の3倍の大きさに作られたものだそうだ。ちなみに本尊は鎌倉時代のもの。
日本三大地蔵の一つ、とのことだが、有名なお地蔵様というのは聞いたことが無い。

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北国街道の町並み。古い商家が何軒か保存されている。
うだつのある町並み。電灯には各家の家紋入りだ。

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創業嘉永5年と書かれた醤油屋さんがあり、店内には古い調度品や醤油樽が色々と置かれてあった。
木製のレジスターというのは初めて見た。
醤油は残念ながら買えないので、珍しいしょうゆ味のラスクを購入。香ばしい醤油の香りがして美味だった。

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続きは次回。

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城下町彦根をゆく(2)

今週は梅雨らしい天気です。この辺りはあまり降りませんでしたが、
前回の続きです。

今回は、彦根のかつての中心地であった銀座街のアーケード商店街です。
「銀座」「アーケード」というキーワードだけで判るように、彦根の町も他の地方都市と同じく、郊外の幹線道路沿いのショッピングセンターに買い物客が集まる傾向にあり、中心街の商店街は衰退していくという運命を辿っています。

土曜日の午後、狙って撮った訳ではありませんが、この通り。
すぐ隣にある、彦根城から続く「夢京橋キャッスルロード」の喧騒がうそのように静まり返っています。
かつてはここがこの街のメインストリートで、週末となればたくさんの老若男女で賑わっていました。

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この通りの中心に、滋賀県を本部とする中堅スーパー「平和堂」の1号店があります。
滋賀県でハトのマークと言えば、ヨーカドーではなく、平和堂なんですね。駅前には必ずハトのマークがあります。

随分前の話ですが、名古屋近くの小牧市の中心部にあったヨーカドーのハトのマークの色が変じゃないか、と思ったら平和堂に変わっていました。最近は愛知県にも進出しているようです。

半廃墟化している商店街のビル。
半分以上の店は開店休業状態、ありがちな旧商店街の風景です。

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商店街の真ん中にあるパチンコ屋。閉店してしまったのでしょうか。

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銀座街の外れにある袋町の町並み
ここは昔の遊郭があった場所、格子窓の建物が残っています。
名前の通り、袋小路のように狭い道に、バーやスナックが集まっていて、今でも賑わっているように見えます。
手前にある店の名前「金亀」とは、彦根城の別名「金亀(こんき)」のことです。

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帰る前に琵琶湖を見ながらしばらく湖岸道路を走りました。
久々に見る広い空とシンプルな風景は心を洗ってくれるかのようですね。
そのうちにこの湖をぐるっと回ってみたいと思います。

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城下町彦根をゆく(1)

少し前に琵琶湖へ行ったとき、到着点である彦根の街並みを自転車でぶらぶらと散策しました。

先の記事に書きましたが、彦根はかつての石田三成の領地であり、関が原以後にやってきた家康の忠実な家臣であった井伊氏によって代々治められてきた城下町です。
進駐軍としてこの町に入った井伊氏は、琵琶湖畔の湿地帯だった場所に城を造り、また新たな城下町を作り、京の至近エリアである重要拠点を作ったわけです。新しいといっても、もう400年以上も経っていますが。
昭和の時代になっても、彦根市民から井伊氏は慕われていたんでしょうね。井伊直弼のひ孫にあたる人が長年市長を務めてきました。

幕府の譜代筆頭として代々徳川家を支えた井伊家の当主、井伊直弼は幕府の大老として、辣腕をふるい攘夷派の志士を粛清などを行った結果、暗殺されてしまいます。ところが、混乱の責任を押し付けられる形で10万石を没収されたことから、大政奉還後には譜代筆頭にもかかわらず新政府側に転向、鳥羽・伏見の戦い、続く戊辰戦争にも参戦しているんですね。
それでも、井伊直弼に対する明治政府の薩長閥からの憎しみは消えなかったんでしょう、逆賊の町として冷遇されてきました。滋賀県の県庁は彦根ではなく大津に置かれ、35万石の城下町とは思えないひっそりとした田舎町になりました。
この点、忠義を貫きながら最後に裏切られた会津藩、会津若松と似ている部分があります。

中山道から彦根城下に入る古い道があります。
「花しょうぶ通り」といういかにも最近付いたような名前が付いていましたが、この通りは、違和感なく古い町並みが再現されていていい感じに残っています。

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今も営業中の古い床屋さん。昭和初期の建物のようですが、随分とモダンな建物ですね。

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花しょうぶ通りを抜けたところにある銀行跡の建物。

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平成に入って、各地で行われた町おこし運動で、隣の長浜市が「黒壁ガラス館」で大成功を収めて多くの観光客を呼んだことに触発されてか、兄貴分である彦根市も負けじと、『夢京橋キャッスルロード』なる観光スポットを作って観光客の呼び起こしに成功しているようです。
この場所はかつては古い町並みや古くからの商店が並んでいた場所で、すっかりかつての面影は無くなり、アミューズメントパークみたいな場所に様変わりしていました。

そういう場所に長居は無用のため素通り、したのですが食べるところが他になく、舞い戻ってその中のフードコートみたいなところで昼食を摂りました。無理やり作ったようなご当時B級グルメです。
ふなっしーくまもんに押されて最近あまり聞きませんが、元祖ゆるキャラ「ひこにゃん」おすすめの『ひこね丼』。
近江牛でしょうか、牛すじ肉を使った牛丼ですね。赤いのは、滋賀県特産の赤こんにゃくです。たしかこれは近江八幡名物だったような...
ちなみにこの赤は唐辛子ではなく、鉄分の赤で特に変わった味がする訳ではありません。

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次回は彦根の中心地、銀座街に入ります。

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琵琶湖を見に行きます(3)

またまた前回の続きです。
摺針峠を短い急坂を下りきると、国道8号線(R8)に合流します。
まもなく、旧道の入り口があり、中仙道鳥居本宿に入ります。鳥居本という地名、京都の嵯峨野にもあり有名ですが、こちらは特別な観光資源もないせいか、ひっそりとしています。

ここはすでに行政区分で言えば彦根市なのですが、かつてはこの辺が彦根の中心地でした。
かつてといっても、400年以上も前の話、関が原の戦いの勝者である徳川家康の譜代である井伊直政が、敗者である石田光成の領地であったこの地にやってくる前のこと、この町は、中仙道の宿場であると同時に、佐和山城の城下町としても栄えたようです。

敗者の痕跡は勝者によって徹底的に破壊されるのが世の慣わし、佐和山城の替わりに、今の彦根城が作られ、城下町の中心も湖側へ移りました。彦根城の石垣は佐和山城のものを使っているというのは有名な話ですね。

豊臣家に対して義を貫いて破滅した石田光成、替わってこの地を治めた井伊家から、300年後、井伊直弼というある意味、幕府に対して義を貫いた人物が出てきた、というのも皮肉なものですね。
ともに評価の分かれる人物ですが、歴史の分岐点で同じような立場に置かれ、非業の死を遂げる、判官びいき、という訳でもありませんが、ともに嫌いな人物ではありません。

鳥居本宿はさすがに町が消え去ることはありませんでしたが、町の賑わいからは取り残された、のでしょう。古い昔ながらの町並みが残っており、その中でも特に目立つ、要塞のような立派なお屋敷が現れました。

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このお宅は、有川家といって、「赤玉新教丸」という薬を350年も前から製造し、現在も製造・販売を続けているらしい名家です。明治天皇行幸の際の休憩所として使用された、とあるから、かつてからこの町を代表する家であったようです。公開はされていないようですが、ここだけタイムスリップしたかのように昔の店が再現されています。

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赤いポストもまだ現役で、1日1回集配にくるようです。

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R8沿いを走っている近江鉄道の駅舎、昭和初期に立てられたままのレトロな味わいの建物です。

この近江鉄道、略して近鉄、とは関西の人も言わないようですが、全国一の私鉄である近畿日本鉄道よりも歴史は古いのです。西武グループのオーナー堤氏の出身地という縁で、随分昔に西武グループの一員になっています。

私も随分と昔に一度だけ乗ったことがあります。
並行して走っているJRの2倍の料金、しかも本数も少なく遅いので、乗る必要は無いですが、あくまで話のネタにです。
車内はなぜか東京や埼玉の広告が載っていました。西武鉄道のものをそのまま持ってきて使っているんでしょうね。
ネットで見ると、今も同じみたいです。
経営努力のなか、地域の貴重な足として利用され続けています。サイクルトレインを実施しているらしいですね。

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ということで、琵琶湖畔にたどり着き、彦根市内をぶらぶらして帰途につきました。
潮の香りはしませんが、これだけ見ると海の景色ですね。

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新しいタイプの輪行袋への詰め込みは予想外に時間が掛かりました。
説明書を見ながら約40分。どうも詰め方も下手くそでいびつな形状で自立できない有様です。
目の前で電車が出発して30分以上もホームで待つ羽目になりましたが、目一杯に体を動かした充実感がありました。

走行距離:116キロ

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