僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

美濃路を歩く(1)

美濃路は、東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶショートカットとして設けられた脇往還である。宮、名古屋、清須、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣、垂井に至る全長14里24町余(約58km)の道のりで、その間に木曽川、境川、長良川、揖斐川の川を渡るのだが、当時は渡し場が設けられていた。しかし、東海道の難所「鈴鹿峠」と「七里の渡し」を避けることができるので利用者も多く、将軍の上洛や朝鮮通信使始め西国大名などの通行にも利用された、5街道に次ぐ重要な街道の一つである。

以前からこの道を歩いてみようと思っていたのだが、その理由は、自分の地元を通る道だからである。
単純計算で58km÷10kmで5日もあれば十分歩けるだろうと思って始めたウォーキングの初日である。

0909261.jpg

初日であるので、無理せずに始めようと、1200ジャストに東海道から分岐している美濃路の起点(写真上)からスタート。ここは熱田神宮の南にある19号線から1号線が分岐する交差点でもあり、今も昔も重要な場所である。
美濃路はここから、熱田神宮に南門から入り、神宮を通り抜けながら北上する。
熱田神宮は、都会のど真ん中にある貴重な緑のオアシスである。真夏でもここだけは気温が数度は低いし、森の匂いに心が癒される空間である。こんな森が近所に欲しいものである。

0909262.jpg

熱田神宮を抜け、19号線を北上して暫く歩くと、熱田神宮の入り口を示す道標(写真上)がある。昔はここに大きな鳥居があったようである。

さらに北上し、起点から30分ほど歩いたころ、もう一つの森が19号線の西側にある。断夫山古墳である。東海地方で最大の古墳であり、6世紀頃にこの辺りで勢力を持っていた尾張氏の墓であると言われている。古墳の横には、高校野球の愛知県予選が行われる熱田球場がある。

0909263.jpg

さらに北上すると、名古屋で3番目か4番目の繁華街である金山の高層ビルが見えてくる。再開発でJRと名鉄の駅が統合されてから駅は
立派になったが、駅の周りはあまり替わり映えしていない。

ここでJRの陸橋を渡る手前に佐屋街道への分岐点の道標(写真上)がある。放置自転車に囲まれており、途中で折れたものを繋いで復元された悲惨な状況である。車でも衝突したのだろうか。

佐屋街道も東海道の迂回路として発達した街道である。七里の渡しの長い海路を短縮するために、ここから佐屋(現愛西市)まで設けられた。佐屋から桑名までは三里の海路らしい。

この日は9月末だというのに暑い。日陰を求めて道路の西側を歩くのだが、交通量の多い19号線(通称伏見通り)を歩くのは単調で早くも疲れが見え始めてきた。まだ昼ごはんを食べていないせいもある。

古渡の交差点から、東別院の仏壇屋街を通り、午後1:30頃、大須の街に入る。ここからは通称本町通りと呼ばれる道に続く。喉もカラカラでお腹も減ってきた。
通り沿いにあるキッチンニュートーキョーでハンバーグ定食を食べてエネルギーを充填。

0909264.jpg

本町通りは今も名古屋市中心部を南北に縦貫する主要道路であり、今はその名前が無くなってしまった旧東海銀行本店もこの道沿いにある。岡谷鋼機、瀧定など名古屋の名門企業もこの道沿いだ。

この道が東西のメインストリート広小路通りと交差する辺りは、金融機関の建てた昭和初期前後の近代建築が未だ残っている。広小路本町交差点には、旧大和生命ビルの残骸(写真上)が残っている。

0909265.jpg

美濃路はさらに北進し、もう一つの主要道路である錦通、さらに広い桜通と交差する1本手前を左折する方向に続く。名古屋の古いお茶屋さんである升半本店を過ぎ、再び伏見通り(19号線)と交差する。歩道橋で迂回して直進すると、やがて堀川を渡る伝馬橋(写真上)に至る。

堀川は、名古屋港と名古屋北辺を流れる庄内川とを結ぶ運河である。福島正則が、家康の命を受け名古屋城築城の資材運搬用に開削したと言われている。今もこの川沿いには何軒かの材木問屋が残っている。

0909266.jpg

伝馬橋を渡り、堀川に沿って右折し桜通りを渡ると、名古屋でも有名な四間(しけ)道という町並み保存地区(写真上・下)に入る。

名古屋駅も間近な位置であるにも関わらず、戦災を逃れたこの辺りは今も下町情緒の色濃く残る場所である。

「四間」とは、道幅を表す語であるが、この道幅の意味は、この道を境に、西は町人の町、東は武士の町であったことにある。つまり町人の住む住宅密集地で発生した火災が延焼しないように設けられた防火壁ということである。

名古屋にはさらに防火壁に加え、防水壁がある。名古屋西部~北辺を流れる庄内川の堤防は、名古屋城下側である東側のほうが高く作られて水害が及ばないようになっていると言われている。

0909267.jpg

昔、この工事を命じられた人々は、その反対側に住む人々だったと言われている。やりきれない気持ちでしかも強制的に命じられた仕事が能率よく進むはずはなく、その地域の地名をとって、力の入らない仕事、それをする人のことを表す「小田井人足」という言葉が残っている。(この地域出身の高校の先生に聞いた言葉である)

0909268.jpg

町並み保存地区から先はしばらく、美濃路の跡がはっきりしていないようだ。仕方ないので、そのまま生活道路を適当に歩いて北進すると、名古屋城から直接西に向かって伸びている昔の狭い旧街道といった観のある道に出る。商家がちらほらと残っており、美濃路を示す案内書きがところどころ建てられたりする。

こんな凧の製造をしている店(写真上)があったりする。

0909269.jpg

美濃路はまた、信長とゆかりの深い道でもある。そのころはまだ整備された街道ではなかったかもしれないが、美濃路沿いにある白山神社(写真上)では、信長が戦勝祈願をしたという言い伝えが残っている。

中途半端な場所であるが、足が痛くなってきたので、初日でもあることであり無理せずにここまでとする。PM3:30本日のウォーキング終了。

(次回へ続く)
関連記事

- 0 Comments

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。