僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

美濃路を歩く(6)

10013002.jpg

美濃路ウォーキングも今日で最後である。大垣駅をAM10:20に出発。
大垣の町は前回にも多少歩いたが、マップを見ると幾つか見るところがあるようだ。古そうな老舗のせんべい屋(写真上)やら城下町だけあって、駅前商店街にも和菓子屋が何件か見られた。

10013001.jpg

所々にルートを示す標識があったり、家の玄関先に自前で作ったと思われる説明板(写真上)のようなものまであったりする。
地図を片手に、市内の中心部をクネクネと曲がりながら歩く。

10013003.jpg

大垣周辺は柿の産地として有名であり、柿を使った和菓子の老舗「つちや」がある。(写真上)
本店は美濃路沿いにあり、創業250年という。ひときわ目を引く柿をモチーフにした木製の看板があり、歴史の重みを感じさせる。おそらく食べたことがあると思うのだが味は思い出せない。歩きなので持ち帰るのもしんどいので今回は写真を撮るだけにする。

10013004.jpg

大垣は松尾芭蕉の「奥の細道」の結びの地としても知られている。大垣城の南に当たる位置に大垣市総合福祉会館という建物があり、その中に松尾芭蕉に関する小さな資料館がある。この辺りの地名は船町というようだが、昔から運河を使った内陸交通が盛んだったのだろう。大垣城は、またこの運河を掘として外敵の侵入を防いでいたわけだ。(写真上)

10013005.jpg

福祉会館のすぐ南に、結びの地として芭蕉の銅像(写真上)が立っている。直ぐ隣にはなにやら資料館が建設中である。先ほどの展示コーナーを一個の建物として独立させようということなのだろう。大河ドラマの主人公になることはないと思うので、なかなか人は集めにくいテーマかもしれない。

10013006.jpg

船町には、県道大垣一宮線を渡って直ぐ南のところに灯台(写真上)がある。ここから先はしばらく県道大垣一宮線に添って歩くことになる。

10013007.jpg

この道は片側2車線の主要道であるにも関わらず、所々古い商家やら民家が残っている。これは造り酒屋で、隣の新しい建物で商売をされている。(写真上)

道路沿いに標柱が立っており、民家の庭先っぽいような場所ではあったが、入らせて貰い、説明板を見ていると芭蕉にちなんだ史跡であった。立ち去ろうとすると、入り口の家の奥さんらしき人が出てきて、何やら訳の判らないことを話始めた。何年か前、名古屋から来た人に(知人か本人かがよく判らない)騙されそうになった、うちの主人は警察官であるので騙されない、一方的に話すばかりなの
で相槌を打つしか無かったが、よほど辛い目に遭われたのか、我々をその類の人物だと思って牽制してきたのかよく判らない。判ったことは、こうした場所は人に声を掛けて立ち入るべきこと、むやみに入るのは良くないということだ。

10013008.jpg

気を取り直して垂井に向かって歩き続ける。やがて杭瀬川というやや小ぶりの川を渡るが、当時はこの橋は無く、逆に南に渡船場があった場所に橋があるようなので迂回する。ここにも、立派な常夜燈がある。塩田の常夜灯と書かれている。(写真上)
写真を写していると、こんな田舎道で後ろからパトカーが来た。まさか先ほどのオバさんが通報したとしたとしても、幾らなんでも早すぎる。

この辺りも水害の恐怖はあるようで、こんな小ぶりの川でも堤防の下に水門があり、水害時はどうのこうのという説明が書かれてあった。
調べてみると、杭瀬川はかつては揖斐川の本流だったらしい。治水のしっかりしていなかった遥か昔、この辺り一帯は川と陸の境目が幾度も変わってきた歴史があるのだ。

10013009.jpg

美濃路は県道大垣一宮線と交差してその北側に続く。やがて、久徳の一里塚(写真上)がある。前々回に見た富田の一里塚と違って、道の南側しかないが、それでも立派な榎の木と塚が残されている。
昼近くなってきたので、県道沿いに出て適当な場所を探す。チェーン店らしきラーメン屋でラーメンと餃子を食べる。背脂たっぷりで自分の好みではなかったが、見かけほどしつこくは無かった。

県道沿いを黙々と歩く。結果的にこの道を直進すると垂井に至るのだが、美濃路はやがて県道から逸れて、徐々に国道21号に向けて北上する。特に目印の無い脇道なので、例によって方向を見失わないように進むと、国道21号が見えてきた。
国道21号と県道大垣一宮線が交差する綾戸口で、斜め方向に伸びている旧道に入る。いよいよ大詰め、このまま真っ直ぐ進めば終点であり、行政区分上は、もう垂井町に入ったようである。

10013010.jpg

狭い道であるが、意外に交通量が多い。歩道も狭いので歩くのは少し危ない場所である。
やがてユニチカの工場沿いに差し掛かる。工場を身売りしたと思われるゴルフ場があり、その辺りから美濃路で初めて見かける松並木が始まる。(写真上)東海道とかの一部に残っているものに比べてそれほど密度が濃い訳ではないが、先1キロ位に渡って植えられている松は、街道のフィナーレ?に相応しい。終点に向けて足取りが軽くなる。

10013011.jpg

PM2:10ようやく垂井追分と呼ばれる道標(写真上)に着く。ここが中仙道と美濃路の分岐点であり、熱田を基点としたウォーキングはとうとうこれで完結した。
町の中心を流れる相川に掛かっている橋からは、雪を被った伊吹山が美しい。何百年前の旅人もこの風景を見て足を休めたことだろう。

10013012.jpg

中仙道垂井宿にも、旧街道の面影を偲ばせる町並みが残っている。中でも江戸時代の旅籠がまだ現役で使われているという亀丸屋旅館(写真上)は、外見こそやや改装されているものの、鉄砲窓など物騒なものもそのまま残されているらしい。
それ以外にも何軒か往時の旅籠やら、黒板白壁の豪商の屋敷やらの古い建物が自然な感じで残されていていい感じの町並みだ。

10013013.jpg

以前にも来た事がある垂井の語源になった井戸(写真上)と、その前にある巨木の前のベンチに座って一服。もう既に道は中仙道に入っている。

10013014.jpg

東海道や中仙道と違ってあまり人は歩いていないが、それでも普段良く通っている道でも、ゆっくり歩いてみて見えたもの、また歴史を調べてみて判ったことなど新たな発見があって、多少は旅行気分に浸れたと思う。次は中仙道?
関連記事

- 0 Comments

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。