僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。

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岐阜街道をゆく

岐阜街道は、美濃路と同じようないわゆる五街道の脇道(脇街道・脇往還)であり、東海道の宮宿(名古屋)と中山道の垂井宿を繋いでいる美濃路からさらに分岐して、中山道の加納宿(岐阜)と繋がっている。
また、私の地元を通っている国道22号の元になっている道でもあるということで、馴染み深い道でもあるので、美濃路の次に歩く道として選んだ。

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2月20日、美濃路のときに歩いた井ノ口の追分(写真上)までは、JR東海道線清洲駅から歩く。AM10:30出発。

この辺りは、県道名古屋一宮線(旧国道22号)とほぼ平行しているが、昔の町並みが保存されている訳でもなく、時おり県道そのものを歩くこともある歩いていて最もつらい道だ。こんな交通量の多い道を延々と歩いている人など他には居ない。ただの変な人だ。

何も特記すべきものが無いまま一宮市内へ。
強いて言えば、目に留まったのが、某TV番組に出てきてもよさそうな尖った三角形の敷地に立つ家。珍しそうに見ていたら家のおばさんに睨まれたので早々に退散する。

一宮市は、美濃路の時も通ったが、過去はガチャマン(機械がガチャと動く度にマン札が転がり込んでくる)景気で湧いた繊維の町。今回はその中心部を通る。この町は昔、親戚が住んでいたこともあり、子供のころにも訪れているのだが、隔世の感がある。特に中心部の商店街(本町商店街)は、時代がそのままで止まっているかのような風景が広がる。土曜日の午後だとは思えない人通りだ。アーケードのせいで昼でも薄暗い。(写真下)

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本町商店街は、見るからに一宮の語源でもある真澄田神社の門前町として発達した商店街だ。
往時を偲ばせる広い歩道に高いアーケード、今となってはその広さと天井の高さが侘しさを一層際立たせている。

一宮は喫茶店が異様に多い町としても知られ、モーニング発祥の地とも言われる。今でも喫茶店だけはそのまま残っている割合が多いような気もする。

頑張れ一宮。頑張ろう日本。
1日目はPM2:30で一宮駅着。JRに乗って帰宅する。

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1ヶ月の間をおいた3月20日、残りの行程を歩く。AM9:00前回の続きの真澄田神社(写真上)を出発。
一宮から岐阜までのルートは、駅間距離で見ると14キロ位。少し長めだ。

前回と同じようにしばらくは単調な県道沿いの道を歩く。
旧木曽川町(現一宮市)に入ると、その中心である黒田という集落に昔の町並みが少し残っている。
ここには、特に史跡らしきものは見当たらなかったが、山内一豊の生誕地としても知られている。

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町外れにあるイオンモールで初めての休憩。まだ早いが、この先食事をする場所もあまり無さそうなので軽めの昼食を取る。この近くにアピタ(ユニー系)も巨大な店舗を構えており、激戦区になっている。ともに繊維工場の跡地なのだろうか。

店の入り口に何気にこんな注意書き(写真上)が。大きな河の近くで昔から大変な目に遭ってきた証。

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木曽川橋を渡る。上流には岐阜の金華山が見えてきた。今日の行程の半分位だろうか。木曽川の中洲にたくさんの黒い鳥がコロニーを作っている。(写真上)おそらく野生の鵜(鵜飼に使われる)のようだ。これだけの大群を見るのは初めてだ。写真では判り難いが、橋の両側にあるそれぞれの中州にけっこうな数が居る。餌となる魚(鮎とかも)も豊富なのだろう。

橋を渡り終えると、岐阜県笠松町である。オグリキャップの居た競馬場がある町としても有名だが、この街道の中心地として栄え、かつては岐阜県庁が置かれていたこともあるらしい。

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船着場跡には石畳(写真上)が整備され、灯台跡やら芭蕉の句碑など、行政が気合を入れて整備している。堤防沿いにはサクラ並木があり、来週末には賑わうことだろう。

堤防から下りると、すぐに旧街道だと分る古い町並みが残っている。この街道を歩きだして初めての風景である。

杉山邸と書かれた旧家が開放されていた。「どうぞ」と中に招き入れて下さったのだが、この日はたまたま画家の個展が開かれているようで、関係者が食事で慌しく動き回っており、お邪魔なようだったので、裏にあった土蔵を少し見させて頂いてすぐに失礼した。
この家の入り口には、この街道で初めて見かける屋根神様(名古屋市内の美濃路周辺でよく見かける屋根の上に設けられる祠)があった。

その他にも、明らかに元銀行と思われる建物を利用した民俗資料館をちらりと覗いた。ここも個展が開かれていて、出展者の知人だけが集まっており、展示物の前で写真撮影を始めたりして部外者はお邪魔のようだった。

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その後、街道に沿って暫く歩き、町外れに出るころ、古い醤油屋らしい建物が見つかった。確かテレビで紹介されたのを見たことがある。(写真上)今でも醤油のはかり売りをしており、入り口の年季の入ったカウンターには750円、600円と書かれた紙がある。1ビン辺りの値段なのか判らないが、地元の人は空きビンをぶら下げて買いに来るらしい。

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ここからは岐阜までは目と鼻の先だと思っていたら、なかなか着かない。金華山が近づいてからが意外と長かった。今の岐阜市南部(JR岐阜駅のすぐ南)には中山道の宿場町があり、加納宿と呼ばれており、名鉄名古屋本線の駅がある茶所という場所でこの岐阜街道と交差する。(写真上)

ここが岐阜街道の終点ということになるのだろうか。ここからは中山道を歩く。急に道が整備されており、カラー舗装や街道を示す新旧の道標があちこちに立っており、くねくねと曲がっているが道に迷うことは無い。

途中、本陣跡などを示す立て札が有ったが、建物などは何も残っていない。所々に古い建物があるが、岐阜駅に近づくにつれてその数は少なくなり、完全に普通の街になっている。

JR岐阜駅は近代化され、かつてソープ街が広がっていた南口も、都市整備されて明るい街に生まれ変わっていた。(昔は線路沿いからよく見えた)

PM3:00少し前、JR岐阜駅に到着。パン屋で軽くお腹を満たして帰路についた。
これで、2つ目の街道を踏破したことになった。前回の美濃路に比べ、意外に疲れなかったが、予想通り見所は少なかった。あと1週間先にしておけば良かった。

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