僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。

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津島街道をゆく

今年は名古屋開府400年ということで、名古屋市が観光事業に力を入れている。
「名古屋をとりまく歴史街道」というサイトに、名古屋を中心とする街道が紹介されているので、今回は自転車(ミニベロ)に乗って出掛けることにした。

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今回のルートは、名古屋の西にある古い街、津島までの2つの脇往還、津島街道と佐屋街道である。
ともに津島神社の参拝に使われた道であると同時に、東海道の宮の渡しを嫌う旅人が、短い海路を取ることができるバイパスとして利用された道だと言われる。(という説明が津島街道の起点の説明版に書かれていた)
以前に歩いた美濃路を通り、新川を渡ったところに分岐点があり、ここに道標が立っている。AM10:00出発。

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旧街道っぽい曲がりくねった道は、この前に歩いた岐阜街道よりは原型を留めているようだ。
程なく甚目寺観音に着く。

初めて知ったのだが、ここは源頼朝の命を受けた梶原景時が建てたと言われている古い寺だ。鎌倉幕府が出来た直後だから800年以上前ということか。梶原景時と言えば、頼朝に告げ口をして義経を陥れたと言われているが、最近はそうではなく優れた実務家だったという説のほうが優位らしい。

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津島街道は狭いわりに、生活道路として今も重要な道であるため、通り過ぎる街の中心部ではクルマの通行量が多い。七宝、木田、青塚、と名鉄電車のアナウンスで聞き慣れた地名の街を過ぎると、道は90度曲がる。少し古い町並みの残る集落、勝幡である。かつては佐織町と呼ばれたこの辺りは、水害に度々遭うことがある。自分の高校時代も、この町の同級生が水害のため孤立し、ボートで食料の配給を受けていた話を聞いたことがある。

街の中にもそんな堤防決壊の記憶を忘れないようにと、水害の時の水位を示す表示板があったりする。目比(むくい)川決壊浸水位 昭和51年9月9日とある。

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この辺りで最も大きな川である日光川を渡ると、ほどなく津島市に入る。途中で道が判らなくなってしまいそうな箇所もあったが、自然に旧街道っぽい道に戻ったかと思うと、町並み保存地区のような場所に出た。津島の市街に入ったようだ。

津島は、津の名前が示す通り、昔は港町だったらしい。同時に津島神社の門前町として、中世、信長の時代から栄えており、信長は勝幡で生まれたという説もある。(父信秀は勝幡城主であった時期が
ある)
さすがに中世とまではいかないが、昭和の時代がする町並みがそのまま残されている。狭い曲がりくねった道に古い商店がまだ営業を続けている。

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やがて津島神社参宮道と書かれた大きな石柱がある。
レトロな街灯のある商店街を抜けると、津島神社ではなく、大きな池のある公園に出た。天王川公園である。10年ほど前に夏祭りを見にきた記憶がある。

津島神社の説明板にもあったが、ここでいう天王とは牛頭天王(ごずてんのう)であり、牛の守り神とする神様か?と単純に思ったのだがそうではなく、インドのお釈迦さまの生誕地と言われる祇園精舎の守護神のことを言うらしい。これがまた日本神話に出てくる素戔嗚尊(スサノオノミコト)でもあるとされているからややこしい。

日本の神道とインド・中国から来た仏教が組み合わさった信仰で、難しいことばで言えば神仏習合ということらしい。
でもこの神社でお参りする時は、拍手を打つのが正しい作法なんだろうか。ちなみにこの牛頭天王というのは、京都の八坂神社で祀っている祇園も同じ神様らしい。(八坂神社のホームページより)

長くなってきたので、津島神社参拝のルートとしての、津島街道へのポタリングはここまで。

帰途のルートは佐屋街道を使ったのだが、日を改めて書くことにします。
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