僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

津島街道をゆく(続き)

前回(3/30)の続き。津島街道に戻る。

1003307.jpg

津島神社の門前(本殿の東にある大鳥居の前)には大きなイチョウの木がある。殆ど枯れかかっているが、紅葉(黄葉)の時期には、見事な美しさになる。門前の少し手前にある「お旅所の大イチョウ」と呼ばれるイチョウも力強く存在感のある巨木。

1003309.jpg

神社で参拝を済ませたあと、サクラの咲いている天王川公園のほとりを一周する。サクラは五分咲き位の感じだろうか。平日でしかも寒いので人気は少ない。屋台も少し開いているが、おじさん達は手持ち無沙汰な様子だ。

神社の周りの旧市街をブラブラと散策したあと、昼時なので、通りかかったおなじみの「王将」に入って昼食を取る。お姉さんの元気な「イーガーコーテー」の声で間もなく運ばれてきた天津飯と餃子を食べつつ、手持ちの地図を見ながらコースを練る。地図と言っても、全部印刷するのは大変なので、迷いそうな分岐点のみピックアップして刷ってきただけの手抜きハードコピーのため、津島市内からの道が判らなくなったからだ。方向さえ合っていればそのうちに見つかるだろう、と高をくくって走り始める。

100330a.jpg

佐屋街道は、津島市内のここから先は、はっきり残っていないらしく、名鉄尾西線に沿ってしばらく走る。日比野駅のあたりで線路を渡り、地図にあった地名の交差点を曲がると、旧街道らしき道に出た。ほどなく、なにやら石柱の立っている場所に出た。「さや舟▽○」と書かれているが読めない。船着場の跡らしい。ということはここに川が流れていたということになるが、その形跡は全く無い。

この辺りは木曽川を初めとした大きな川のデルタ地帯で、昔から水害に悩まされた場所であるため、治水対策で埋め立てられたのか、水害のせいで土砂が堆積して川の流れが別のところになって無くなってしまったのか、津島の町も元々港町だったというから、それも同じようなことだろうか。
川があったことの名残は全くないのだが、強いて言えば、船着場の場所から先の南側、西側は土地が低くなっている。その向こうは川か海に近いような低地だったのだろう。

佐屋の船着場は三里の渡しと呼ばれ、長い海路を嫌う旅人の使うバイパスルートとして明治に入るまで使われたらしい。宮の渡しは七里というから、それだけの距離でも避けたくなるような過酷な船旅だったということか。
ここで佐屋街道を終点を確認した後に、帰路につく。
帰り道は、単調な道のりである。津島市内まで同じ道を引き返し、そこから先の佐屋街道は、ほぼ県道115号(津島七宝名古屋線)となっている。比較的交通量の多い道であり、歩道も段差があって走りづらいので、車道を走らざるを得ず、自転車は走りにくい道だ。

100330c.jpg

途中、唯一街道の名残を残している神守の一里塚がある。交通量の激しい交差点の手前にあるので写真を写すのも難しい場所だ。

大治町(現在は「あま市」に替わったばかりである)に入ったころ、県道から分かれて右折。旧道は新川を小さな橋で渡る。この橋を渡ると名古屋市内になる。ツインタワーも近くに見えてきた。先は近い。少し疲れてきた。

やがてなぜか道幅が広くなり、神社やお寺の集まっている場所に出た。万場宿というかつての宿場町だったらしいが、昔の建物は残っていない。国玉神社という神社の角に高札場(掲示板)があったと記されている。

街道は、庄内川を渡し舟で渡ることになっているが、現代のルートは万場大橋まで迂回することになる。橋を渡ると、まもなく岩塚宿に入る。街道沿いの宿場というよりも、昭和の匂いがする建物が何件か残った道である。この辺りまで来ると、見慣れた風景でありゴールも近づいてきたので、自然とペダリングのペースが速くなる。

100330b.jpg

烏森、尾頭橋と次第に交通量も増えてくる。金山グランコートホテル前に立つ道標についたのは、PM2:30だった。走行距離は50km弱といったところだろうか。距離計を発注したのだが未だ届いていない。今日はなぜかあまり疲れなかった。少しは体力が戻ってきたのかな。


関連記事

- 0 Comments

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。