僕の前に道はある 僕の後ろに轍が出来る

元サイクリストが綴る自転車や散歩を中心としたブログです。

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大阪城の遺構を歩く(1)

久々の書き込みです。何か月ぶりのことでしょうか。

夏に起こしたもらい事故以来、ほとんど自転車には乗れず、せっかくの週末も出かけずじまいのことが多くなってしまったこともあり、ブログを書く気にもなかなかなれず、書き込みが止まっていました。

おまけに12月に入った頃から、原因不明の頭痛が続き、まったく2016年後半は酷い1年に終わりました。
その1年の締めくくりに、ほぼ年末恒例になっている関西方面への小旅行に出かけました。

大河ドラマ「真田丸」の影響で、その遺構が見たくなり、行先は大阪となりました。

今回の起点は、近鉄上本町駅。初めて下車する駅です。大阪というと、平坦な町、というイメージを勝手に持っていたのですが、「真田丸」が作られた目的を知り、そうではないということを知りました。ネット上に転がっていたデジタル標高図です。

osaka_map.png

つまり、大阪は上町台地という南北に延びる半島状の台地の両側に広がった町ということです。縄文時代のころは、上町台地以外は完全に海の上で、その後も、大雨が降れば水浸しになる湿地帯でした。難波とか浪速とかの地名が残っているのはそのためだったんですね。

半島の北の先っぽにあるのが大阪城になります。北側は、大川(旧淀川)という天然の要害、東西の両側は湿地帯が広がっていて攻め込みにくく、唯一陸地が続いている南側が入口ということになります。
この場所はかつては、信長を苦しめ、最後まで落とせなかった石山本願寺のあった場所でもありました。信長が攻めあぐねた場所を、それを引き継いだ秀吉は、守るための防御に知恵を絞ることになります。

城の南側に巨大な空堀を掘ったのもそのためであり、また、さらにその城を守るために、知恵を絞った真田幸村が編み出したのが、集約して入口を狭くして、効率的に敵を迎え撃つために作った砦が「真田丸」ということになります。

今回の小旅行は、その「真田丸」跡を訪ねるのと、南側の防壁としてその前から存在していた南惣構堀(通称「空堀」)跡をめぐるというものになりました。コースを決めたのはその前ですが、少し前にNHKで放送されていたブラタモリで紹介されていた場所と同じような場所になってしまいました。



井戸のある広場。文字通り、大阪のおばちゃんが井戸端会議中でした。



空堀周辺は東西だけではなく南北にも起伏があり、非常に複雑な地形となっています。実際に歩いてみて、地形がはっきりとわからないというのが本音のところです。

主に商店街の南側には、こんな急な坂道が細い入り組んだ路地に続いています。









空堀のあと、ということは無いかもしれませんが、商店街の裏側がこんな風になっている箇所もあります。



この辺りは、空堀の跡の他に、地形の窪み、それから、大阪城の瓦を焼くために土を掘った後の窪みがあったとも言われ、その境目がはっきりしていないようです。

坂道と段差にばかり気に取られて、商店街の写真を写すのをすっかり忘れていました。古い建物がさほど残っている訳ではありませんが、下町の活気ある、なかなかいい感じのアーケードでした。何よりも、変わっていたのは、アーケードの商店街が坂道の中を延びているという風景でした。私の記憶の中では見たことがありません。

このあと、商店街を東の方向に進んでいくと、真田丸のあったといわれる場所に出ました。

長くなってきましたので、次回に続きます。

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